明治生まれの植物画家・版画家 船崎光治郎


 

 

 

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版画を作る会は、版画家の船崎光治郎氏の指導のもと1966年に発足した歴史ある同好会です。

画家だった祖父母については、樺太のことなどを、『あなたにきれいって言われたくて』の中にまとめておいた。

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このHPを作っておいてよかった。

まだお目にかかったことのない親戚の方がご連絡を下さった。

異祖母兄弟というのだろうか、光二郎さんを「祖父」と呼ぶ方からご連絡があった。

私にとっても光二郎さんは祖父だから、血が繋がっている。
私の記憶では、御宿の夏、母、つまり光二郎さんの最初の妻との長女に連れられて、海水浴に行った時、他の子供の姿は見なかった。どうしてだろう。

みなさん樺太で産まれているのだし、そのお子さんたちというか光二郎さんのお孫さんたちがそこの家にいらしてもおかしくないのに。もしかしたらお目にかかったのだろうか。そうだったら、ちゃんと覚えているはずなのに。

光二郎さんは、背が高くて髪が長かったから、私の目には怖い人、アブナイ人に見えた。

幼稚園くらいだった私の周りの男の大人の人で、髪の長い人など一人もいなかった。

だから、きちんと短く整髪していない光二郎さんが、子供心に気持ち悪かった。

もっと大きくなってわかったことは、明治生まれの画家や小説家は、長髪男性が多かったということ。

 

以前、版画を作る会のご紹介で、ご連絡を取らせていただいていたのは、長生き村に住む五男さんだった。

ご自分で栽培したキュウリやナスを送ってくださった。

 

3年前に大阪で人知れず亡くなったのは、何番目の息子さんなのだろう。

どうして大阪府の行政は、船崎家の先妻の次女である私の叔母の住所がわかったのうだろう。

平成4年9月9日

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