毎年恒例の築地本願寺での丸子一家の集まりの時に、かおりちゃんが、ベトナムで買ったかわいいものをいろいろ見せてくれた。わー、私もそういうもの買いたい。
二週間後にはベトナム航空の機上の人になっていた。マイレージがあったし、その日にちはビジネスしかなかったから、マイルがちょっともったいないかなとも思ったけれど、まあ、たまにはいいかも。
5月には踊りがらみでインドへ行くから、1月にどこかへ行っておかないと、これから当分、どこへも行かれないと思ったので、無理にでも出かけた。
鍾乳洞観光はハイライト。
ベトナム戦争で国外へ逃げたミミさん一家と知り合ったのは大きな収穫。
その後、ミミさんが来日して、赤坂で再会!
2016 January
(Tokyo - Hochimin - Hue- Hochimin - Incheon - Tokyo)
成田のラウンジでまず、ちゃんとしたおいしいものをたくさんいただいたのだけれど、行きにこのレベルの食事に慣れてしまうと、ホーチミンやインチョンのラウンジで、あら、どうしたのという気持ちになる。
日本人は本当に恵まれている。
ビジネスの機内食はエコノミーと比較にならないほどまともだけれど、いつもビジネスで旅行したら、それは、ブタになるわ。
帰りは、乗り換えの回数が一回多いけれど、まあ、無料旅行だからいいかなんて思っていたけれど、インチョンというのが、どこにあるのか、ホーチミン発の飛行機に乗ってからも、まだわからなかった。
多分、中国のどこかにあるのだろうくらいに考えていた。
着いてみて、わかった。
わお、コリアだった。
私はジンドウミンクや高麗人参売ってるソウルの空港しか知らなかったから、もう、えーという感じ。
あの人たち、新しい空港をつくったのだ。
お店の数がやたらと多い、新しい空港だった。でも、ジンドウミンクや高麗人参は全然売ってなかった。
私は古ぼけた昔のソウルの空港をまだ覚えている。ほとんど掘っ立て小屋か工事現場のプレハブみたいなかんじだったけれど、私はひたすら編み物をしていた。当時は、機内で針を持ってお裁縫やかぎ針で編み物をすることが許されていた平和な時代だったから、ニューヨークへ到着するまでに目の粗い、鎖編みのスカート一枚できてしまうほどだった。3.11が平和な旅に終止符を打った。ったくハザ金のやることは。
到着と同時に、ホテルのフロントでツアー翌日のツアーを申し込む。
1日目は市内の宮殿や寺院巡り、2日目は遠出して、鍾乳洞へ。
自分で回ろうとしたら大変だから、効率よく主要な場所へ連れて行ってくれるツアーは助かる。思うに、ツアーを利用するようになったのは、アジアを旅するようなってから。ギリシアやキプロス以外のヨーロッパや北米中米では、個人で観光地をまわっていた。トルコしかり。
ガイドと一緒に行った方が、無駄なエネルギーを使わなくて済むから楽ができる。説明も聞けるし。
フエのフオン川の向こう側が、シタデル。
王宮の入り口に、米軍からの銃弾痕がたくさんあった。
残っている建物があったことが、むしろ奇跡。
王妃の館なども完全に焼かれていた。
日本の大学が、王宮図書館を再建したのは、本当に嬉しい。
シリアのパルミラ(シリアの戦争前。今はどうなっているかわからないけれど。)やアンコールワットでも、日本の大学が修復作業をしていた。
ネパールのルンビニは、立正大学史学科の藤原先生(父の愛弟子)が担当したそうだ。
日本は、このようなことにお金を使うべきだと思う。
野蛮な国が破壊した文化財を日本人が修復する。
現地の人は見ている。
誰が壊して、誰が直しているのかを。
日本は直す方の人になる。歴史と文化の価値を知っているから。
お店屋さんが並んでいる通りが少ないかなというのが、印象。
ワンピースやトップスを買った。朱塗りお椀もたくさん。