令和3年1月1日 金曜日
夜中の1時半に家に戻る時、あまりに暗いので、曲がるのを忘れて通り越してしまい、両側とも畑のところへ来て、気がついた。
死んだように眠り、午後1時の礼拝に間に合わせるように、ピンクの着物を着て教会へ行った。
他に着物の人はいなかった。ルーテル教会の元旦礼拝と雰囲気が全然違うけれど、いろんなところにそれぞれの良さがある。ここの良さは、情報満載の著述家の牧師であること。泉先生はいつ執筆をなさるのでしょう。
夕方ちょっと1時間寝ようと思ったら、7時から11時まで寝てしまい、びっくりする。起きて仕事開始。
ブリュンヒルデちゃんは、いつも視線を私に向ける。起きている時は、私をみ続けている。私のことが好きなのだと思う。顔を近づけると舐めてくれる。
令和3年1月2日 土曜日
朝、氷点下になったようで、庭の水道の蛇口がひねることさえできない。先週は、庭の水道菅が凍って水が出なかったとはいえ、蛇口はひねれた。
8枚着込んで出発。これまでの人生のいつもの1月2日と同じように、自動的に築地本願寺へ。丸子家の方々と亘さんに祈る。後でわかったことだけど、同じ時間に、三上の慶彦さんが同じお堂の中にいらしたとのこと。ご一緒にお写真撮られなくて残念。
四ツ谷駅、本物の植物を飾っているから、とても素敵。
中野の丸子能明さんのお宅にお呼ばれして、おせちとお雑煮をご馳走になる。素晴らしい伝統的なお料理。マンションの中、以前は、四ツ谷そのものだったのに、まるで違う家のようになっていたので、びっくり。
4人の娘を月謝の高い米国の大学や大学院まで行かせ、2人をお嫁に出して、能明さんは偉い。嘉子さんの内助の功が半端じゃない。
太陽の光のお陰で、寒さはさほど感じない。帰りに、コジマで猫さんたちにお土産を買う。だけど、誰も爪とぎ、使ってくれず、私の鏡の縁で爪を研ぐ。やはり、慣れたものが好きなのだと思う。
夕方、庭の水道を試してみたら、ちゃんと蛇口が回せた。でもその時間に水を撒くわけにいかないから、もっと暖かくなってから撒こうと思う。
令和3年1月3日 日曜日
この美味しそうなおせちは、昨日の能明家のもの。これにお雑煮がついて、とても豪華。本当にもう恐縮してしまう。
まゆみさんは、31日に大奮闘して、お正月のお料理を作っていたなと思い出す。
日曜は朝から着物を着付けて、教会へ。賛美歌を日本舞踊で踊り、フィリピン礼拝に参加。泉先生とお話しできたのもよかった。
戻ってご飯とお風呂の後、夕方の8時にちょっと1時間だけと思って寝て起きたら、翌日の夜中の2時になっていたから、年賀状も書けず、執筆もしなかった。
令和3年1月4日 月曜日
もしかして、お正月になってはじめての何も予定を入れていない日だと思う。
「今年は食べ物を無駄にしない」という決まりを作ったから、まだお買い物に行かないで、今、冷蔵庫にあるもので何か作ろう。私はたくさん食べ物があるのに、どんどん次のものを買う悪い癖がある。戸塚にいた時、ふうばの冷蔵庫を見て驚愕したけれど、あのくらい何もなければ、無駄ということはないのだろう。まあ、ちょっと殺伐としているから、つまらないということはあるけれど。
Feilerのアニマル柄バッグを開けたら、なんとそこに捜していた黒い水着が入っていた。もう遅いけど。
押入れの左側の箪笥に入れようとして開けたら、失くしたと思ったi-phoneがあった。神様ありがとうございます。
必要なものは全部寝る部屋の中にありました。
湯たんぽを用意しようとしたら、手が滑って、陶器の湯たんぽを床に落としてしまったら、見事に割れた。あーあ。
すぐにまた同じメーカーの美濃焼の陶器湯たんぽを注文したけれど、届くまでは、どうやって寝たらいいのだろう。
湯たんぽないと眠れない。『カヤック」がどんどん進み、熱いお風呂に入り、その勢いで、湯たんぽなしで2時に寝た。
令和3年1月5日 火曜日
あまりにも遅い。そろそろ年賀状を書き始めないといけない。すでに12月24日に東急ハンズから受け取っていたのに、これでは全然意味ない。
これを書き終わるまで、買い物に出ないことを決心。
踊りのレッスンが当分お休みになり、実は心底ホッとしている。
交通違反の罰金払いに行かないと。あれはコンビニでは払えなかった。
結局全部書き終えた。50枚で足りたのは、ラインとメールで多くの年賀状を送信できたこと。だんだんこの方向になるけど、私の親戚にはネットとつながっていない高齢者たちがいるから、郵便も捨てがたい。
4時から6時半まで寝たから夕方頭スッキリ。
昨年末に買った里芋をようやく料理した。今年の目標は、「食べ物を無駄にしない」なので、買ったらすぐに調理する、買ってそのまま放置しない、必要以上に買わない、ブランド食品を求めていろいろな店を彷徨わない、冷蔵庫の中の掃除を心がけないといけない。
令和3年1月6日 水曜日
結晶蜂蜜を売っている養蜂場をついに見つけた。これからはそこへ直接申し込めばいいことが判明。これまでにすでに数十個楽天から買ってしまった。まあ、いい。ものはなるべく生産者から直接買うに限る。
さて、5時に起きて、仕事がよくはかどる。驚くことにすでに湯たんぽが届いた。こんなにすぐに来るとは思わなかった。美濃焼ではなくて、岐阜県の高田焼とのこと。陶器製湯たんぽは、後にも先にもこれ一つしか楽天になかったから他に選択の余地がなかった。形がまるで前のと同じだけれど、ということは、前に使っていた美濃焼だと思っていたものも実は高田焼だったのかもしれない。
チーズ餅は美味しい。もっと早くやればよかった。10個のうち6個を磯辺焼きにしたことが悔やまれる。
昼ごはん後、1時間昼寝した後、猫砂や新鮮な魚介類、カマンベール、クリームなどを買いにいなげやへ。本当はこういうスーパー使いたくないのだけど、いかんせん、シモダは田舎のよろず屋だから、粗末なものしかない。ほんのたまにだけちゃんとした店で買うのも必要。
3ヶ月間飲まなかったコーヒーを明日の朝から飲み始める。だから、今夜中にカヤックの本を出版しないと。
令和3年1月7日 木曜日
もうみんな、寝ていられない。だって、大統領選挙の結果の情報、どんどん更新されて変な方向へ向かってしまっているから。
和美ちゃんから美味しいクッキーをいただいてご馳走様。
朝は七草粥で、伝統をクリアし、昼は、昨日作ったエビとピーマンのグラタン。これにミョウガ入れても良かったのだと、今日になってから気がついた。
ここのところ、いろいろなものが届く。
昨年注文したフェイクレザーの茶色のスカートも届いた。今後は注意しなくては。ストーブで焦がした方は、家の中で履けばいい。あと、シモダに買い物に出る時とか。
令和3年1月8日 金曜日
トランプ大統領のために祈る時、いつも涙が出てしまう。大統領戦後のニュースを追って、睡眠時間がおかしくなる。今朝は4時半に起きて、お風呂に入り、1時間ストレッチをしてまた寝て、10時半に起きた。
午後MM歯科へ行った。以前に行った通りの反対側より場所的にいい感じで、中にはなんと二箇所も子供コーナーがあった。田舎の開業医は面積が広々としているからさすがだと感心してしまう。
猫ライオンみたいな本を見つけた。あ、猫といえば、猫草をあげないと。外へ行かせていた時には、自分の好きな草を勝手に食べていたから健康を保っていたけれど、閉じ込めてからというもの11,12,1月と草を食べていない!買いに行かないとこれはまずい!ごめんなさい、人間のお母さんが悪かった。ムガベちゃんだけは、お外へ行って食べているけれど、ブリュンヒルデちゃんが心配。イヌおちゃんは、お外が嫌いだから、元から草を食べなくても平気な猫だったけど、明日、買って来てムガベ以外の子達に食べさせよう。
令和3年1月9日 土曜日
やはり、コロナはやらせのようだ。トランプさんが言っているのだから間違いない。
丸子家の次男の嫁で離婚した人というのは、まゆみさんとめぐみさんしかいないのだけど、そうすると、その娘というのは私と、日暮里3人組の合計5人だけということになる。めぐみさんと日暮里3人娘に連帯感を覚えたので、蜂蜜を送った。神様がビットコインを上げて下さったからできる。ありがとうございます。
その日の写真と関係ないけれど、猫ライオンがあまりにかわいいので、毎日載せている。
山下のおば様からいただいたお粥、ものすごく美味しい。ご馳走様でした。ありがとうございます。
1日どこへも出ないで集中して、『何歳でもできる楽しいカヤック』(自分がさざなみになる時/外苑東通りを豚が行く /男は読むな)をついに電子出版した。昨年の6月から引越しだなんだと落ち着かなかったから、一冊も出版していなかったから、久しぶりの出版。それに、写真集ではなくて、書き下ろし。なんと、目次のつけ方を忘れてしまっていた。今まで、難なくやっていたことなのに、もうできなくなっている。ああ!あれは、ザックに教えてもらった。とりあえず出してしまった。
令和3年1月10日 日曜日
教会に堀田さんがいらして下さって嬉しい。泉先生の話しをとても褒めていて、よかった。女の子たちは、皆、わかってないのか、情報が少ないのか、堀田さんほどは褒めなかった。堀田さんの話からわかったことは、まゆみさんは私のことを堀田さんに褒めていたとのこと。私には決して褒めることはなかった。クリティックな人だから、口から出る言葉はすべてネガティブだった。衣装:青金スーツ、下は白タンクトップ。私は猫ちゃんたちに、褒め言葉しか喋らない。
かおりちゃんから預かったピンクの靴にぴったり入る人がいてよかった。タンバリンさん。
三田多恵子さんにミントブルーの電動自転車の鍵と充電器を渡した。使って下さる方がいるのは嬉しい。
令和3年1月11日 月曜日 成人の日
はじめて日の丸を出した。物干し台にくくりつけた。風でくるまってしまい、日の丸の赤い部分がよく見えなくなったけれど、インパクトがある。
午前中に郵便局へ行き、小笠原の宿に支払い。しまぽ通貨で支払いをしようと思っていたら、しまぽ通貨は、無期限に発行停止になってしまった。
GoTo事業といい、しまぽ通貨といい、新しいアイデアが出て来ては、めまぐるしく変化したり、米大統領選挙の状況に合わせて日本の感染者数を盛り、保障もなしに緊急事態宣言を出すものだから、国民はたまらない。
猫さんたちのご飯を近場で仕入れるとなると、いなげやしかないので、人間の食べるものも、少しだけ仕入れる。原則として、ほとんどの食品はあのいささか気の毒なシモダでプレミアム商品券を使って買いたいので、そこ一本にしている。ただし、商品が少ないから、生クリームなんて売っているのだろうか。お茶も、色はあるけど香りと味がないお茶しか売っていないし。ところでお豆腐買ったら、「むつみ」という名前だった。
4時に昼寝をして7時に起きたから、日の沈む前に日の丸をしまうことはできなかったけれど、まあ、仕方ない。やはり、睡眠は一番の方法。今日、お買い物に出かけた時、くしゃみや鼻水が出たのに、戻って、お風呂に入って寝たら、治った。多分、昨日、踊った後、身体を冷やしたからそうなったのだと思う。
ともかく健康維持、それを至上目的として暮らしていこう。今週の金曜日に佐藤正子先生のレッスンを受けようと思う。
その前にドンキで電動自転車を買うので、10時前には大久保に到着するのが望ましい。レッスン、曙橋でピーマンさんにたこの木の種を渡す、三輪先生の指圧、クリーニング屋、ビックロにアイパッドを修理に出すなど、たくさんやることがあるだろう。
令和3年1月12日 火曜日
崎陽軒のお粥の朝ごはん、美味しすぎる。三上家ありがとうございます!
嬉しい!河童師匠がご紹介下さった!
私は海河童さんの写真集を見て、いつもため息をついてしまう。水面でやっているシュノーケルの私とは全然違う世界をご覧になっている方。
ところで、昼寝をするのに、上の部屋へ行くのは時間とエネルギーの無駄だから、パソコンの横あたりにゴロンと寝てしまうのが一番簡単だから、今日は、冷蔵庫の横の布団の上に横になったのだけど、そうか、もう一枚敷布団を持って来て、掛け布団も用意したら、台所で昼寝ができる。
相良守夫先生もそうなさっていたから、私もそれを真似しよう。
四ツ谷の坂町にいた時、書斎にベッドを置いていたから、そういうこともできたけれど、あの時は、台所が隣だったから、今の方がずっといい。台所が書斎で、しかも仮眠用布団セットがあったら、これ以上のものはない。
今日は、朝から良いニュースばかりが入る。これも、毎日一生懸命にトランプ大統領のためにお祈りしたから。
ちゃんと就任するのを見届けるまでは、まだ心配だから、これからも毎日、毎食前にお祈りしよう。
あ、今日から、沖縄行きのスーツケース作ろう。着るものなるべく少なくて十分だとわかったから、余計な物持って行かない。
令和3年1月13日 水曜日
郵便物が届いた。
危ない、危ない、もう、今年1年間無事故で通さないと、大変なことになってしまう。
それもこれも、ここ3ヶ月で3回交通違反をしたからだ。免許を取って以来、1年間無事故で通したことが一度もないから、この1年どうなってしまうことやら。
上海空港で、1ヶ月間違った日にちの飛行機を予約してしまったラーメン組と同じことをしてしまったけれど、まあ、石垣島から戻る便だから、誰にも迷惑はかけていない。
今日は、来週の沖縄の観光プランづくりと、現地へ何度も電話して、カヤックの申し込みをしたりで、あっという間に日が暮れてしまった。
今日は16度と、やけに暖かかった。思うに、朝のお風呂を43度ではなく45度に下から、身体の温まり具合が違うのかと思う。何時間もストーブを切っておいても、別になんてことない。
沖縄のカヤックで、戦跡カヤックツアーがあり、これはすごい。ただし、迎えに来てくれないから、自分で現地までバスを乗り継いで行かないといけない。地図を見てびっくり!沖縄の数カ所のカヤック屋に電話をかけまくった。
嘉手納米軍基地の目の前だった。え、こんなところでカヤックするの!
奥多摩のカヤックの師匠は、真冬でもカヤックを漕いでいる。
私も、毎日柔軟くらいしないと。今日は昼寝をしなくても、夜までもった。
令和3年1月14日 木曜日
山本周五郎の『花宵』で泣いた。これからは、メモしておこう。そうしないと、同じ本をまた読んでしまう。
やっとふうばにお手紙書いた。
朝45度までお風呂のお湯の温度を上げると、その後、すごく元気でいられる。
今日はずっと座って作業をしていたけれど、途中で、いつものように足が冷えて冷えて、何枚靴下を履いてもダメだった。思い切って、お風呂の縁に座り、浴槽に足を入れて、37度のお湯を45度になるまで追い焚きしたがら、youtubeを聞いていた。45度になってから10分くらいかけて座っていたら、もう、お風呂の縁でお尻がったけれど、これは効く。手先も暖かくなった。普段なら、沸かしたお湯を入れたやかんやお鍋を膝の上に置いていたけれど、もう、そういうことはしなくていいのかも。出てから二つとも暖房を止めて、暑くて仕方ないから、スカーフも取ってしまった。明日からは、この作戦でいこう。でも、座る場所をどうにかしないといけない。濡れていいものということだから、タオルのようなぐっしょりするものはダメで、やはり、ビーチボールとか浮き輪がいいかも。お風呂場に置くものを増やしたくないので、もう少し考えよう。
令和3年1月15日 金曜日
職安通りと大久保通りの間で、小滝橋通り沿いの佐藤正子先生が使っていらっしゃるDスクエアビルのスタジオへ朝11時にお邪魔する。
同じ大久保でも、これは素晴らしい。でも、ここは広いし、設備もいいから、個人レッスンにはもったいない。
正子先生の踊りは、女王卑弥呼で、同時に般若もできると思った。中から感情を出して動く天才だと思う。
私は順番を真似することもできない。
高齢者の方がたくさんいらした。プロポーション抜群のモデルさんのような方もいらして、私はとても良い時間を過ごさせていただいた。やはり、正子先生、かっこいい。劇場の客席通路に寝かされていた赤ちゃんは今年41歳だという。
ガウディ・スタジオが放火されたのには、ショックを受けた。辛いことをたくさん乗り越えられていらした先生だから、魅力的なのだと思う。
四ツ谷の自転車屋さんで、赤い自転車を買い、久しぶりにしんみち通りの中華屋さんでお昼を食べたら、給仕のお姉さんが私を覚えていて下さった。自転車で市谷砂土原町を通り、神楽坂のメゾンカイゼルへ。それから三輪先生のところで指圧。
ビクトリアでピンクのヨットパーカーと、水中カメラを首から下げる紐というか首飾りを手に入れる。屋久島へ行く前に買っておけばよかったのだろう。ビーチサンダルは季節が違うとのことで売っていなかった。小笠原で買えばよかったのだろう。まあ、沖縄でも買えるだろう。
コジマで猫さんのご飯類を山のように買った。久しぶりのバゲットにバターをつけたら、すごく美味しい。外がカリカリ、中はしっとり。
令和3年1月16日 土曜日
午前中に近所の美容院、午後一番で歯医者へ。そうしたら、セラミックの下、特に何もなっていなかったとのこと。長崎歯科だと、中が全部ダメになっているから、セラミックをやりなおさないといけないと言われたというのに。MMさんはいいなあ、気に入った。結局、歯の歯垢取りだけで終わった。ありがとうございます。やはり、神様が見守っていて下さっているのを感じる。
戻ってきて、足湯。今日は、スカートを畳んで、お尻の下に敷いた。これは濡れてしまう可能性があるから、次回からはビニール袋にバスタオル入れよう。足湯は効く。全身ポカポカ。はじめて46度にした。ちゃんと我慢していられる温度なのにびっくり。足だけだからだろう。
やっと『カヤック』の本の目次部分を直した。数日かかってしまったけれど、これでもうやり方がよくわかった。
目がしばしばしてきたから、今日はもうこれでやめようかな。9時前には二階へ上がってしまった。
令和3年1月17日 日曜日
夜中の2時に起きて、本日の北新宿ナインアワーズを予約する。沖縄から帰って来る日の分はすでに予約とってある。倉庫から近いこの位置にあるのを発見したから、もう市ヶ谷ファーストキャビンは取らなくて良くなる。
このようにすると、出発当日のストレスが少なくなる。明日は結局3時半に起きて、朝の4時40分に新大久保から乗らないといけないから、まあ、体内時間としてはこんな感じでいいのかも。さて、今日は長い1日になるだろうけれど、教会でフィリピン人に着物を着せたり、右大臣さんが来るかもしれなく、黒いビロードのスーツをどなたかに差し上げたりすると、家のものがだんだん減って行って嬉しい。次に教会へ行く時は、モスグリーンの靴を持って行こう。もう絶対にネットで靴を買ったりしない。浅草で実際に履いて買ったショートブーツもダメ。安いものは足に合わない。陽子さんのお母さんが言っていた「安物買いの銭失い」。その点、まゆみさんの物はいいものばかりだから、素晴らしい。
令和3年1月18日 月曜日
出発。那覇の空港からモノレールで簡単に国際通りへ行かれる。
ランタナホテルはJALホテルの真ん前で、国際通りの中央部分にあるから、結局、モノレールのどこの駅からでも行かれるのだとわかった。
首里城へは、牧志から。
誰が首里城を焼いたのか。なぜ焼いたのか。
捜査したのか。どんな罰を下したのか。
ああ、今日は、いっぱい歩いた。
令和3年1月19日 火曜日
辺野古へ座り込みに行く。
那覇のバスターミナルから、嘉手納を超えて、かなり遠かった。
沖縄戦で亡くなった方達のご遺骨が入ったままの土を、埋め立て用としてキャンプシュワブのところに捨てていると聞いて、涙が止まらない。
令和3年1月20日 水曜日
久高島へ。
この島のことは、『神武天皇がインマヌエル王子として沖縄に来た』( 中東から1年半の旅 / 女預言の女系から出た琉球王朝/久高島写真集)に書いた。
強烈な体験だった。
泉パウロ先生の『天皇家はユダ族直系!』(ヒカルランド)に感謝。
もし武蔵村山へ引っ越さなかったら、泉パウロ先生とお目にかかることもなく、そのご著書を読む機会もなかったかもしれない。
これはもう神様が、私にそのことについて研究しなさいと言って下さっているようなもので、心から感謝する。人々のお役に立てる本を書こう。
令和3年1月21日 木曜日
エイサー会館。
本土復帰以前からすでにエイサーが上演されていたというのはすごい。カタルニアのサルダーニャと同じなんだと思う。
60年代の白黒画像から、つい最近のエイサーまで、全部の動画を見た。
ジャズダンスの振り付けを取り入れたものもあった。
このような施設があり、そこに音楽の練習をするスクールも併設されていた。
令和3年1月23日 土曜日
朝起きて、海ぶどうを買い、ホテルに預けて、県庁前にある那覇市歴史博物館へ。
驚くほど内容がない。かわいそうに。
デパートの4階の洋服売り場の半分の面積をもらって博物館のようなものをやっているけれど、こんなものじゃダメ。教育委員会は何をやっているの。
国際通り流行っていない店が多くて、心が痛む。政府のせい。コロナなんか嘘なのだから、経済を活性化させてあげないと、みんな瀕死状態。
水上商店街の「ししや」でたんステーキと、はらみすステーキ、にんにくライスを注文。その時はなんとか食べれたけれど、その後、空港で眠くなって、ほぼ寝そうになる程。蛇のようにじっとして消化を待っていた。
羽田からナインアワーズへ。いや、ここは駅から近くて便利だわ。
令和3年1月24日 日曜日
ナインアワーズからカーサ第二新宿はほんの目と鼻の先。倉庫に荷物を置いて、朝ごはんを食べに行ってから、シャロームへ。玉川大学芸術学科の歌の方へ渡す本を先方に渡して来た。差し上げたいものがある時は、自分からさっさとやる、これが大切。
久しぶりに家に帰る。お魚を買った。そういうもの、本当に食べられなかった。漁師が漁に出られない。人々は国に殺されている。経済が回らなかったから、生きて行かれない。
留守にしたから、猫たちがよそよそしい。人間のお母さんなのに、ブリュンヒルデちゃんなんか、逃げる。あの態度、ジークフリート君を思い出すほど。可愛かった、あの子。
別れた猫たちに無性に会いたい。
令和3年1月25日 月曜日
ああ、やっと休める。
明日からまたお稽古が始まるから、今日のこの休みの日は貴重。『神武天皇はインマヌエル王子として沖縄に来た』(神の島久高島の秘密)のことを考えたので、写真集と、PDFのエッセイにしようと思う。
これまでの写真集は、字数を考えずに書いてしまったから、今度は、1頁に1項目づつ、短く仕上げようと思う。目次の項目をたくさん作ればそれも可能。
ただし、リンクで飛ばないけれど、それは仕方ない。
文字の本にすると写真が多数掲載できない。
台所に寝るようにしたら、猫が寄って来る。以前のように甘えてくれるから、当分は台所に寝よう。
令和3年1月26日 火曜日
今日からお稽古開始。
終わった後、三輪先生の指圧、ピーマンさんから植物をいただいた。ピーマンさんの育てた子宝草は、なんと、土に植えるところまでになっている。私のも、そのくらいまで行ったかもしれないけれど、12月に半月いなかったのがネックだった。教会に置いていた方が良かったのかもしれない。神様が守って下さったから。
12500キロのところで、オイル交換。もっと早く来たかったけれど、こんなに乗ってしまった。
石垣島の最初の2泊と、西表の1泊の宿泊予約をした。訪問者少ないだろう。絶対に行って現地に貢献して来ないと。
令和3年1月27日 水曜日
お稽古の後、クリーニング屋さんから暖簾を引き取る。ニットのハイネックセーターがあった。やった!こういうものがあることを忘れていた。
今日は暖かい。一雨ごとに暖かくなるのだろうけれど、3月ならわかるけれど、それがすでに1月末に始まっているとは。
杉並の元オートクチュール屋さんに行って、フェイクレザースカートを巻きスカートに変えてもらう依頼をした。
今日なんか、普段なら一番上に履くフェイクレザースカートなしで長距離を運転してしまった。膝丈のサテンスカートではちょっと足りなかったけれど、今日は暖かかったからさほど寒さを感じなかった。
イザヤのツィポラの間に二人の息子がいることがわかったので、失われた空白期間がだんだんわかって来た。ありがたい。
令和3年1月27日 水曜日
お稽古の後、クリーニング屋さんから暖簾を引き取る。ニットのハイネックセーターがあった。やった!こういうものがあることを忘れていた。
今日は暖かい。一雨ごとに暖かくなるのだろうけれど、3月ならわかるけれど、それがすでに1月末に始まっているとは。
杉並の元オートクチュール屋さんに行って、フェイクレザースカートを巻きスカートに変えてもらう依頼をした。
今日なんか、普段なら一番上に履くフェイクレザースカートなしで長距離を運転してしまった。膝丈のサテンスカートではちょっと足りなかったけれど、今日は暖かかったからさほど寒さを感じなかった。
イザヤのツィポラの間に二人の息子がいることがわかったので、失われた空白期間がだんだんわかって来た。ありがたい。
令和3年1月28日 木曜日
お稽古の後、中野の劇場を捜しにあの一帯をバイクで走って、ようやく見つける。来週は、大久保から自転車で行っても大丈夫な距離だと納得。バイクが置けない以上、仕方ない。
帰りに雨が降って、かなり濡れて家に帰った。足湯をすると、身体全体が温まるから、良い方法。
夕方7時から真夜中まで寝てしまった。足湯の後、横になって本気で数時間寝ると疲れが取れる。
令和3年1月29日 金曜日
お稽古の後、正子先生のスタジオに沖縄のお土産を届け手から三輪治療院へ。ものすごく身体の調子がいい。
戻る途中に猫さんのものを買い、市場で食料を仕入れる。これから数日何も買わなくても大丈夫な量。料理をする時間が勿体無いから、買った野菜が減らない。
足湯をしてから4時間くらい昼寝をして、起きてからお寿司。前回買ったお寿司は、結局、自転車の買い物カゴの中に忘れてそのまま沖縄に行ってしまい、戻って来たら、まだ自転車のカゴに入っていたので捨てたから、今度は注意してちゃんと持ち帰った。千代田の大学芋は、水飴がカリッとしていて美味しい。ここのを食べると、いなげやの大学芋など、しっとりねっとりして柔らかくて、不味くて食べられない。
家にいると家事に時間がかかりすぎる。
令和3年1月30日 土曜日
お稽古の後、正子先生のスタジオに沖縄のお土産を届け手から三輪治療院へ。ものすごく身体の調子がいい。
戻る途中に猫さんのものを買い、市場で食料を仕入れる。これから数日何も買わなくても大丈夫な量。料理をする時間が勿体無いから、買った野菜が減らない。
足湯をしてから4時間くらい昼寝をして、起きてからお寿司。前回買ったお寿司は、結局、自転車の買い物カゴの中に忘れてそのまま沖縄に行ってしまい、戻って来たら、まだ自転車のカゴに入っていたので捨てたから、今度は注意してちゃんと持ち帰った。千代田の大学芋は、水飴がカリッとしていて美味しい。ここのを食べると、いなげやの大学芋など、しっとりねっとりして柔らかくて、不味くて食べられない。
家にいると家事に時間がかかりすぎる。
令和3年1月31日 日曜日
5時半に起きて朝風呂。出かけるまでの間が長すぎたから、7時半くらいに足湯。
教会でまた寝てしまった。寝ないでちゃんと聞いた時の方が少ない。
着付け3名。ピアニスト母と、フィリピンお母さんとキャロルさん。
戻って、写真編集の続き。時間がかかる。でもこれをちゃんとやってからしか写真をアップできない。
日本とユダヤの勉強講座買ってしまった。もしかしたら同じ講座を2度買っているかもしれない。というのは、話している田中英道という先生の話し方を聞いたことがあるので。
晩御飯は、じゃがいも入れたお味噌汁だけだった。それで十分。
令和3年2月1日 月曜日
西表島の宿より連絡が来て、港までお迎えにいらして下さるとのこと。1泊しかしないのに、申しわけない。
場合によっては、2泊していいのかも。4泊予約して1泊で撤退した母島のこともあったから、最初から長い契約をしないほうがいい。これは、旅をするうちに身につけたスキル。最初の頃、よくわからないで同じ宿に長くいたから、他の島へ宿泊できなかった。宿と飛行機のセットは、あれは安いようだけれど、航空会社の都合でやっていることだから、できれば別々に取って、あらゆることに対応できるようにしておいたほうがいい。
西表島で早朝カヤックやろうかどうしようか。
令和3年2月2日 火曜日
令和3年2月3日 水曜日
令和3年2月4日 木曜日
レッスンが休みになった。胸のしこりがすごく痛いとのこと。
この人の食生活が気になっていた。防寒しないことも。若いうちは防寒の大切さがわからない。
バイクを駐輪場に置いて、自転車で中野へ。なんだ、大久保通りをまっすぐでいいのだ。何度も通ったあの道だから、よくわかる。
劇団NLTの上演は、小劇場のMOMOというところ。川端さんの演技素晴らしい。
劇作家役と看護婦役の太った二人をもっと身体がシュッと締まっている人に替えれば、もっと良くなったはず。
コロナなど本当は流行っていないのだから、客席を満杯にして、ちゃんと利益を出して欲しい。
令和3年2月5日 金曜日
朝から鳥の水炊きをたっぷり食べてから出かけた。
お稽古の後、ビッグカメラでタブレットを修理に出したら、保険が適応され、4400円で新品がいただけるとのこと。すごい!
ピンクの口紅買った。
真っ赤しかないと、どうでもいい時に浮いてしまうから。
これからは大切にしよう。
食料を全然買わなくても、ちゃんと料理ができる。
食品を無駄にしないというのは大切なこと。
令和3年2月6日 土曜日
ゆっくり眠った。
こんなにぐっすり眠ったことはないかも。
朝はいつも時間に追われていたから。
外に出たのは、たった数分だけ。
ここから1分の農家へ野菜を買いに行った。
百円玉2つを木の箱に入れて、長ネギとほうれん草を持ち帰った。
最高、こういう生活って。
暖かい。春がそこまで来ている。
神武天皇の本は、写真を数十枚アップロードした。
令和3年2月7日 日曜日
教会で踊った時のドレスは縮緬のロング。裾上げが外れているところに足を入れてしまった。一瞬のことだったから、パッセをしないように気をつけた。杉並に持って行こう。あ、茶色の毛皮の裏もついでの直してもらわないと。
フィリピン礼拝が始まるまでの間、着付けをした。デルフィン牧師はついに侍裃と袴をつけた。
教会で踊る人の記録と着付け写真のページを作った。
私は記録をつけるのが好きだけど、続かない。続いているのは日記だけ。それも間が空くことがある。
市場でお肉と野菜を仕入れたから、2日くらい大丈夫。
足湯をすると、全身が熱くなり、熟睡の昼寝をしてしまう。
夜中に起きて作業をする。
令和3年2月8日 月曜日
お稽古が11時開始だったので、すごく余裕を持って到着できた。本当は渋滞に巻き込まれないこの時間に行くのがいいけれど、終わる時間が12時になってしまうから、三輪治療院へ行かれない。やはり10時始まりが良い。
帰りに杉並の洋服直しに寄ろうと思って縮緬ドレスを持って行ったのに、なぜか、気づかず、通り過ぎてしまった。あそこは、はっきり言ってわかりにくい。見落としてしまう。これといった目印がない。
コジマで猫さんのご飯を8千円分買い、村山のシモダで釜揚げしらすなどを仕入れる。ブリュンヒルデちゃんは、これが大好きみたい。イヌおちゃんは、以前はマタタビのように反応していたけれど、鼻が悪くなったのだろう。詰まっているから嗅げないのだと思う。1日に何度も拭いてあげる必要がある。午後は足湯の代わりに全身湯にして昼寝。夜の11時に起きた。結局2食しか食べていないけれど、十分。
来週の今日、もう成田のナインアワーに泊まる日だなんて信じられない。
令和3年2月9日 火曜日
朝の4時に寝る。最近いつもそう。午後に昼寝をするから、変な時間に起きて仕事して、結局そういうことになってしまう。
トランプ大統領関係のyoutubeを見るのは少し、セーブしないといけない。時間がもったいないかも。
自分には今、発信する情報がたくさんあるから、それを大切にしないといけないのに。
令和3年2月10日 水曜日
お稽古が終わって、ビックカメラへ行って、新しいタブレットにシールを貼ってもらい、余計なものも買ってしまった。
ブラ。そんなもの使わないのに。
戻って来たら、なんと、杉並の洋服修理のお店を再び通り越してしまった。毛皮の入った大きな袋を朝からずっと持ち運んでいたのに。
どうしてだか、わからない。
これまで何度も行った場所なのに、なぜか、通り越してしまった。気がつくと、すでに右手に大きな病院があるところで、しばらくすると、早稲田通りとぶつかった。
うーん、あそこらへんは、特徴のない似たような建物が並ぶから、見分けにくい。
明日遅れてはいけないと思って、たくさん寝ることにする。
思うに私の健康を維持しているのは、ひとえに睡眠と食事。それも質素で、1日に大抵は2回。1.5回の時もあるけれど、それで十分。
令和3年2月11日 木曜日
白丸湖のカヤックに行った。今回は、猫マスクの愛ちゃんを入れて、4名のチーム。
お天気に恵まれたのは、『何歳でもできる楽しいカヤック』(男は読むな!)を出版したことへの神様のご褒美。
今日はなんと、競技用のスラローム艇に乗らせて下さった。初心者用の安定がいいものと違って、細く、流線型で、スピードが早い。
かっこいい!
工藤師匠、ありがとうございます。
やはり、ここできちんと技術を学んで、観光地のシーカヤックで活かすというのがいい。
戻って来て、お風呂に入ったら、すぐに寝てしまった。
令和3年2月12日 金曜日
今日がすでに土曜日だと思ったら、右大臣さんに今日はまだ金曜日だと教えてもらった。
やったー!
1日儲かった。
さあ、今日と明日で、『神武天皇がインマヌエル王子として沖縄に来た』(中東から1年半の旅 / 久高島の女性預言者の女系から出た琉球王朝/久高島写真集)を出版してしまおう。
ところで、愛ちゃんの猫マスク、アマゾンで買ったのだけれど、耳付きの方を買ってしまった。飛行場で何か言われないだろうか。
耳がついていなければ、帽子だと言えるが、耳がついていると、コスプレとかふざけているように思われてしまうかも。
令和3年2月13日 土曜日 暖かい 快晴
出発直前の昨夜になってから、19,20,21の宿を決めたり、竹富島への遠征を計画したり、2度のカヤックツアーを検索、予約したりで、お返事がきててんてこ舞いだったため、心静かに執筆という具合にはいかない。
そうか、水牛に乗って由布島へ行くのは今は、できないのか。
しげ旅さんが行った頃は、できたようだけれど。
今日は18度もあるから、暖房を止めた。
木々の芽が出ているから、帰ってきたらすぐに庭仕事をしたい。
青ヶ島、御蔵島、香取神宮&鹿島神宮、壱岐、徳之島、沖永良部、宮古島、いろいろ候補がある。
暖かくなってきたら、奈良の箸墓古墳、青森の三内丸山古墳、行きたいところに事欠かないけれど、問題は、庭の水遣り。
令和3年2月14日 日曜日
朝は教会。おにぎり、鳥のスペアリブ、沢庵1本などを持って行った。
新しくいらしたご夫婦はお弁当を持って来ていなかったので差し上げた。これからも多めに作って行って、みなさんに召し上がっていただこう。
明日、朝起きたら、台所の布団を和室に運ばないといけない。
日本ペット協会のあんずさんがびっくりするでしょうから。
教会はフィリピンが最近来ていない。
牧師ご夫妻だけだったら、かわいそう。
女性用着物を持ち帰った。本当はフィリピン人のために持って来たのに。
令和3年2月15日 月曜日
朝は片付け。少し掃除。荷物を作る。
お稽古は午後4時から5時まで。
それからバイクで神楽坂へ行き、食料を仕入れた。
近江屋とメゾンカイゼル。
東京駅から成田へ。ちょっと寒いかもしれないけれど、荷物にならないために、黄色いジャケットにした。下は、白レースタンクトップ、ノースリーブのニットトップ、ブルーのシルクワンピース、2枚ズボン、ピンクのウインドブレーカー。その分、スーツケースに余裕ができた。7キロくらい。帰りは9キロ過ぎ。
第二ターミナルにあるナインアワーズに泊まる。
令和3年2月16日 火曜日
成田空港内で移動するのはとても楽チン。
ピーチは、これから気をつけないと。手荷物は7キロまで出し、預けると2900円取られる。
石垣島に到着して、荷物を置いて、焼肉金城に食べに行った。
タレがまずい。たまごスープの味がない。
ズンバの由香子さんに連絡をしたら、はやばやと迎えにいらして下さり、居酒屋へ行った。
8時終了だと、あっという間。
よく朝早いから早寝した。
令和3年2月17日 水曜日 雨
朝の9時に南国屋へ。
ホンダタクトとロングのレインコートを借りて、雨の中、石垣島を一周。
空港へ行くバス道を行けばいいのに、なぜか郵便局の道と勘違いして、最初から一本内側の道を進むことに。
途中で気がついて、畑の中を右へ走って、県道へ出た。蛇の死骸を見てしまった。
観光バスで行かない石垣島のてっぺんまで進み、灯台を見た。やったー!
観光バスがお休みだからできたこと。
そのまま南下して、西側を通って寒さとの闘いののち、なんと石垣港に戻って来られた。
長く辛い道のりだった。バイク屋でバイクを返した時、長いレインコートは返したくなかったけれど、仕方ない。
熱いお風呂の浴槽に入って、身体を暖めて、ズンバに行った。
本当は疲れて寝ていたかったけれど、最後の力を振り絞った。
全部2カウントで、時たま4カウントになるけれど、私はダメ、そういう単純リズム。
いいお稽古場。天井高いし、カウンターも付いている。
後ろはプライベート。ああ、こんなのが、東京にあったら、家賃は多分40万円くらいといったところか。
ジャケット二枚お借りして帰った。
令和3年2月18日 木曜日
朝、早く離島ターミナルへ行ったのに、ぼうっとしていたら、乗れなくて、次の便で西表島へ。
宿の方に港でお待たせしてしまい、申しわけなかった。
西表島は、広い。
すごくきれいな宿。しまおとや。
原付バイクを借りて、島巡りに出発。
昨日お借りしたジャケット2枚が役に立った。7枚くらい着て、それでも寒いくらい。
結局、上原港まで行って、戻って来た。
帰りに由布島やパイナッブル農園で、土地の方とお話しした。
宿があまりに快適なので、ワーケーションをしている緑髪と紫髪のボーイズがいた。
私が沖縄で毎日必ず口にするもの、海ぶどう、サーターアンダギー、ジーマミー豆腐、タンカンの搾りたてジュース。
一人でツインのお部屋をいただき、恐縮。
令和3年2月19日 金曜日
朝はカヤックの師匠が迎えに来て下さった。キャンンプ場で、3年暮らしていたとのこと。
日本で一番大きなマングローブ地帯の仲間川を漕いで登って行った。
お昼は八重山そばを作っていただき、ピックニックをした。
戻ってから昔の村落があった古見へバイクで行った。そこはうたきという宗教行事をする場所のようだ。
令和3年2月20日 土曜日
港まで車でお送りいただき、石垣港へ一度戻り、竹富島へ行く。
沖縄建築のテーマパークのような島。そのことについて、昨日、カヤックの師匠から聞いていたから、心の準備はできていた。自転車を借りて、走るけれど砂の上を滑ってしまい、うまくコントロールができない。
ビジターセンターにこの島についての多くの説明がある。
ガーデンあさひというところで夕食。
宿はひどい。ヒッピーは喜ぶだろう。
庭で騒いでいる人たちがいるから、うるさくて眠れない。
令和3年2月21日 日曜日
朝暗いうちに、なごみの塔の前でバスを待ち(昨夜予約した)、竹富港へ。わずか10分で石垣島へ着く。
荷物をおりひめに置いた。すごくきれい。プチホテルという感じ。コスパがいい。冷蔵庫やベッド、椅子、テーブルのついたプライベートな部屋で¥3500。
勝手知ったる道を通って教会へ。
教会の隣のスーパーで、海ぶどうやタンカン、ジーマミー豆腐、サーターアンダギーを買った。
アーケードでコスパの良いお昼。石垣牛丼にお味噌汁と、4つの小さな小皿のおかずがついている。¥1300
石垣博物館でゆっくり鑑賞。埋葬文化についてやけに詳しく説明しているのが興味深い。
ゆかさんと、焼き牡蠣の店へ行く。
MLMのお誘いを受けた。今まで散々失敗したから、もう誰も誘えないので、このようなシステムのビジネスはちょっと。自分の下に自分が入って、それでも途中で止まってしまうと思う。
令和3年2月22日 月曜日
朝からカヤックへ。バンザーイ、シーカヤックだ!
川平湾へ行く。
サンゴ礁に囲まれているから、波ひとつない、穏やかな海だから、シーカヤックといっても、小笠原のシーカヤックのように波が来たりしない。
海岸がゴミだらけ。チャイナから流れ着いて浜を汚している浜を汚している。片付けるのは日本人。清掃費用実費を請求すべきだ。さもなければ、ゴミを出した国へゴミを着払いで送るのがいい。
川平湾のカヤックは、島を囲んでいるサンゴ礁まで行ったけれど、さほど疲れなかった。インストラクターは、トライアスロンの選手だから、躯体が良かった。
川平湾の神社(灯篭はお寺風)を見たり、石垣牛のケバブを食べたりしながらバスを待ち、2時に来たので、離島ターミナルへ。
なんとゆかさんが、バス停で待っていた。農協の店へ行って、買い物と送付を手伝って下さった。
それから焼肉金城へ。あまりの不味さにゆかさんもびっくりして、「なにこれ、ただの白湯じゃないの」とお兄ちゃんに言っていた。タレの味がないからレモンを頼むと、プラスチック容器に入った既製品を出して来るし、酸のものを入れるとプラスチックは溶けるしみたいなことをゆかさんが説明。お兄ちゃんはまだわずか1ヶ月の人とのこと。
人はいいのだけど、料理のセンスと配膳の文化や美的センスがないだけ。
途中で、3回離婚のゆかさんのお友達が車で来て、灯台にサンセットを見に行くことに。
私が行ったのとは違う灯台。
お世話していただき、感謝。
令和3年2月23日 火曜日
朝起きて、チェックアウトをしようとしたら、鍵がない。探してもない。おりひめのご主人に港までお送りいただく。申しわけない。
ゆかさんが港までいらして下さっていた。
ありがとう。
バスで無事に石垣空港へ。アイスクリームを食べた。
『坊ちゃん』の本読みたいのに、竹富島のベッドのところに忘れて来たのが残念。東京へ戻ったらまた買おう。
成田から東京駅、新宿駅。そこからバイクで家へ。
どんどん温度が下がって来る。
猫たちは、待っていてくれた。ブリュンヒルデちゃんはよそよそしいけれど、すぐに慣れるだろう。
猫たちと一緒の楽しい団欒。
令和3年2月24日 水曜日
久しぶりのレッスン。終わってから三輪先生のところへ。左足、石垣島で痛くなったのは、コンクリートの上をたくさん歩いたから。
仲野クリーニングと、寸法直しに。セリーヌの毛皮なので、すごく高いはずと驚いていた。まあ、まゆみさんは帝国ホテル地下のシベリアミンクで毛皮を買っていたから、高くて当たり前。
カード類を全部家に置いて来てしまったから、買い物しないで家に帰った。
農家に寄って、お野菜だけ買った。みずみずしい人参にマヨネーズと七味唐辛子をかけて食べたらすごく美味しかった。
令和3年2月25日 木曜日
あれ、午後から鼻が出始めた。昨年はそういうことはなかったように記憶している。どこへも出なかったからだろうか。
あ、それは3月で、2月にパラオへ行った時は、空港で鼻をかんだ記憶が。
新宿都税事務所で質問をしたら、なんと大久保の底地に税金がかかっていた。あんなものに税金をかけるとは驚き。1期で7万、4期で28万。
やはり、花粉症は治っていなかったのだろうか。
帰りに小平墓地へ寄った。おばあちゃま、大好き。とても美しい。
晩御飯は食べなかったようだ。何しろ、夕方5時くらいから布団に入ってしまったから。
具合が良くない時は、お風呂に入って寝てしまうに限る。
令和3年2月26日 金曜日 寒い 曇り 降るかと思った
お稽古の帰りに、以前からいつも左手に見ていた質素な八百屋さんで、りんごなどを買った。おじさんが一人で奮闘している。焼き芋もやっている。次回買おう。助けたいと思ったお店でお金を使わないといけない。
高橋ダンのyoutubeチャンネルを聞いていたので、金と銀の積立をすることにしようと思う。田中貴金属金銀の評判は、 日本で一番いいようだ。一瞬、楽天で買おうと思ったけれど、楽天はネット販売市場のイメージがあるから、やはり、餅は餅屋にしたほうがいいと思う。
目がしばしばして、痒くてつい目を触ってしまう。くしゃみ。鼻をかむ。あーあ、いつもの花粉症。
昨日開始で、さて、いつまで続くのか。
令和3年2月27日 土曜日
一歩も外へ出ないで家で過ごす。
猫や多肉植物の世話をしたり、庭の植物の成長を見たり、家にいると楽しいことが多い。
家にいる時が3週間しかないと思うと、その時間がとても大切に思える。永遠に時間があるのではなくて、限られた時間しかないというのが、素晴らしいこと。
毎日がとても新鮮。
イヌおちゃんを太らせないといけない。
腰がげっそりしているのは、人間と同じこと。
mon petitの小袋をどんどん上げるようにしている。
一度に4つも5つも上げているけれど、好きなものを食べることで太ってくれればいい。
令和3年2月28日 日曜日
教会で踊った時に、足を振り上げたせいだろうか、右足の腿を肉離れしてしまったようだ。
寒い時期を見事にクリアしてきたというのに、どうして今頃と思うけれど、起きてしまったことは仕方ない。
場所の関係から、右足を上げることが多くなるのが原因。もっと上手まで行って、左足を上げれば、避けれるだろう。
揉むと痛いから、触らない。
横になると、猫がその上に乗るから痛いけれど、猫は、そこに乗って、治してくれようとしているのかもしれない。
令和3年3月1日 月曜日
肉離れしたところが痛い。
寝ている時、猫がその上に乗るからやめて欲しい。何しろ花粉症の症状がひどい。外に出かけたのは、セブンイレブンのATMに行ったのと、シモダに食料の買い出しをした時だけ。
あ、それから土や植物も買って来た。
カレーを作ろうと思って、材利用を仕入れる。作る気力があるのだろうか。
令和3年3月2日 火曜日
昨日1日よく休んだせいか、花粉症の症状が良くなった。
ソラシドエアで来月末の沖縄行きを予約してしまった。3ヶ月連続で沖縄へ行くことになるけど、毎回行き先が違う。本島と八重島と慶良間は全く違う。
今回は慶良間諸島の中から3つ。その存在さえ知らなかったけれど、前回行った竹富島のビジターセンターでポスターを見てその存在をはじめて知った。
しげ旅は参考になる。
半年ぶりにカレーを作った。これは本当に面倒な料理だ。
インドの人はよくこんなことを毎日やるものだ。
令和3年3月3日 水曜日
台湾を助けようとお店へ行ったら、Doleのパイナップルしか売っていない。だめ、それは、ディープステートによる奴隷労働だから。
そうか、全ての店が台湾産のパイナップルを売っているわけではないのだ。納得。
楽天で結局二つ、と行ってもドライだけど、を注文した。
くつざわさんの動画で、台湾を助けるより、石垣島のパイナップル農家を助けることの方が大切だと言っていて、その通りだと思った。
この人のようなタイプの人が国政に出てきたら面白い。
ところでウイグルの人がどうして長生き(今は虐殺されているからそうではないのだが)なのかというと、トルコ系民族だから、乾燥果物を食べるせいだからとのこと。ぶどう、イチジク、メロン、なんでも乾燥してしまうそうだ。そうか、そういうことだったのか、やはり、太陽光を浴びたものは健康に良いのだ。台湾製乾燥パイナップルを買ったのは正解。乾燥果物は、加糖してあり、危険なのではないかと思っていたけれど、もしかしたら、太陽が自然に甘みを引き出しているから、加糖しなくても十分に甘いのかもしれない。
令和3年3月4日 木曜日
お稽古に出かける時、新しいダウンジャケットを着たら、下に色々着込んでいるせいかパツパツで、やっとヒップ部分のファスナーが閉まるほど。私でこのくらいだったら、他の人、多分、着られないのではないかな。
お稽古の帰りに神楽坂に寄り、アジの南蛮漬けと、メゾンカイゼルのバゲットをゲット。
コートはフードがついているので非常に暖かく、帰りは、もう普段のダウンジャケットを着ないで大丈夫だった。これまで7-8枚の重ね着が当たり前だったのに、今日は5枚だった。これは画期的。
西表島のカヤックを付け足してアップ。海月の師匠に喜んでもらえる。この作業をするのに、戻って一週間以上かかってしまったのは、まず手をつけたのが、久高島の本だったから。夕方5時に寝て夜10時に起きて夜中の2時まで仕事をした。ずっと起きているよりその方が、頭が働く。
令和3年3月5日 金曜日
お稽古の後、三輪治療院へ。涙が止まらないので、顔をマッサージしていただく。
とても暖かく、帰りには、なんと4枚だった。昨日が5枚だったことを考えると1枚減っている。
暖かくなったということもあるけれど、着ているものが、完全に風をシャットアウトする素材だからだろう。今まで着ていたダウンジャケットは、通気性が良かった。だから、上品だし私は好きだけれど、結局、その上に何か着ないとダメだった。
戻って、7時から9時まで寝て、アボガド、きゅうり、マグロの巻寿司を食べて、石垣島編をカヤックに付け足した。かなり問題点を提示したと思う。
令和3年3月6日 土曜日
那覇のホテルを1泊目は港の近く、最後の日は、前回と同じランタナホテルに予約した。
今度は、那覇には1泊づつしかしない。
阿嘉島、座間味島、渡嘉敷島にはそれぞれ2泊づつで、間の日にカヤックをする。
カヤックベースには3島とも連絡をした。もう、総合サイトを見たりしないように気をつけないと。
無理して1日カヤックをするより、半日にして、書いたりのんびりしたりする時間も作ろうと思う。
過酷なスケジュールにはなっていないと思う。八重島で過密なスケジュールだったのは、ひとえに夕食のアポイントやズンバレッスン、夕日を見るドライブのせいだったと思う。人と一緒だから得られるものと、起きていないといけない時間が長くなることとの兼ね合いが難しい。今回は誰にも会わないから、ことによっては、昼寝をしたり、ものすごく早くに寝て、明け方から起きて浜辺に行ったり、書いたり読んだりなど、自分の時間を過ごそうと思う。
令和3年3月7日 日曜日
赤いカランコエ、緑のなんとかというピーマンさんからいただいた強い植物、竹の3種類を教会へ持って行った。
教会へ着いたら、シューズの箱を玄関に忘れてきたことを思い出し、また家へ戻った。ああ、また時間に遅れてしまった。
やはりオレンジのドレスは、スリットが小さいので、足が全く上がらない。これからは別のものを着よう。一度ピンクを着たら、そのあとは、もう、足が自由に動くものに限る。
教会から戻ったあと、家の後ろ側のところに土を撒いた。たくさん土を使えば、そこが草原になるだろう。今は、よその家が捨てた枯れ草だらけだから。
今日は昼寝をする暇がなかった。
まさえさんからいただいた直植えした紫陽花が芽を吹いている。まさえさんに写真を見せたい。
令和3年3月8日 月曜日 朝から雨
お稽古の後、三輪治療院。今日はすごく混んでいて、待った。花粉症で鼻が止まらない。どうして昨年は花粉症にならなかったのだろうかと思うと、もしかして、海岸の近くという湘南という場所柄、花粉の材料になる杉の木が少ないのではないかと思う。別に私が昨年、健康になったわけではなかったのだろう。
先週と同様にアボガドのお寿司とカリカリっとした大学芋を買った後、ハンコ屋さんで地代について話を聞く。コリアの通称名あらかわという人が、地代業務をすることになったようだ。
神楽坂で美味しいバゲッド、四ツ谷のお茶屋さんでコーヒーを挽いていただきハチミツ梅干しやちゃんと味のするほうじ茶(シモダで買うほうじ茶は、色はあるけど味と香りはない)を仕入れ、牛乳屋と洋服直しに花柄Tシャツを出し、コジマで猫砂を仕入れ、武蔵村山の市場でお肉を仕入れた。長く雨の中を移動していたから風邪を引いたのか、花粉症がひどくなっただけなのか。今日のような雨の日は、本来なら花粉症の症状が出ないはずなのだが。戻ってご飯の後、お風呂と休息。夜中の11時半に起きて、アボガドのお寿司。部屋の中に私のくしゃみを誘発するものが蔓延しているとしか思えない。くしゃみと鼻が止まらない。明日、明後日が休みなのがせめてもの幸い。なんとか治さないと。と言っても、踊っている時だけはなぜか、症状が出ない。
冬の間、ほとんど全滅していたジュリアンが咲き出してくれた。冬の時はどうして花弁の先が切れていたのだろう。昆虫だろうか。同じジュリアンでも、別の場所に植えておいたのは、問題なく咲いていたのに、塀の上の鉢だけダメだったから、虫がハサミで切ったのだと思っていたほどだ。ともかく、ちゃんと咲き出して嬉しい。
令和3年3月9日 火曜日 良い天気
昨日と打って変わって暖かく、お洗濯日和。今日も土を買いに行こう。障子貼り、完成しよう。やはり夜は、寒いから。
阿嘉島のシーカヤックなんとか予約できそう。問題はお宿。この島は、小さな商店3軒とバーが一軒だけしかない離島。民宿あかしまは3月中やってない。花室は5千円、金城はゴミ屋敷レベルだそうで、うーん、どうしよう、トゥーラトゥというところに一応メールをした。電話が鳴りっぱなしで出ないので。今回、那覇で2箇所、座間味島は民宿で、渡嘉敷島に至ってはカヤック屋さんのやっているゲストハウスなので¥2600、5千円以上なのは、那覇の一泊だけで、同じホテルの1日違いは¥3600。まあ土曜日だから、高くなるのだろうから、それは仕方ない。毎月1週間でかけるので、宿と交通費はなるべく抑えたい。宿は寝るだけだから、贅沢しない。
外国の5つ星ホテル何箇所も泊まったから、日本では宿はもういいから、その分数多く旅をしたい。
食べ物を捨てたことによるトイレの詰まりにパイプユニット使わないで済んで良かった。しゃべん玉のクエン酸って、そういうことにも使えるとは知らなかった。ちゃんと通った。熱湯を使ったことが正解だった。
コメリに土と桃の木を買いに行った。花が終わったら、直植えしようと思う。
令和3年3月10日 水曜日 すごく良い天気
休みは嬉しい。4時半に起きて朝ごはんとお風呂、ゴミ出し。また寝て、9時に起きる。
午前中全部使って、破れ障子を貼った。さあ、窓にはめようとしたら、お嬢様が一度に3枚破いたので、また貼り直し。お陰で、剛チャンネルの『ヨハネの黙示録』の説明をじっくり聴くことができたから勉強になった。この人は非常に頭の良い人で、話し方は、関西人なので語尾がいささか下品ではあるけれど、内容は優れているから、この動画を全部聞いてみようと思う。学校で歴史を教えている先生や、カトリックや仏教徒も聞いているようだ。
午後あまりにも花粉の症状がひどくて、3時間くらい横になったら治った。宮沢賢治の『猫の事務所は、面白いのだけれど、もっと何か起きるのかなと思うと、あっけなく終了しているので、「あれ」という感じだけれど、もっと最後のところ、主人公猫さんがハッピーになった描写が欲しいと思った。でも、この人の人生を考えると、もう、これだけで十分なのかもしれない。宮沢賢治が言い切れなかったことは、後の世に生きる私たちが代弁しないといけないのだろう。
インペリアルアイズだけではなくて、リアルインサイトの内モンゴル人の静岡大学の教授の講座も申し込んだ。今月中に退会届を出さないと、月額¥4950が課金されるから、忘れないで手続きしないといけない。ちゃんとやれば¥500で今月分の情報は動画を見られる。無料のものだけではなくて、有料情報をどんどん取り入れたほうがいい。
ムガベちゃんはお庭にゴロゴロしている。他の場所へ行かないで敷地内にいるからエライ猫さんだ。
令和3年3月11日 木曜日 曇り
タンカン箱で買ったのは正解。もっと早くそれに気づけばよかった。沖縄にあるそのお店の扱い商品すごい。
あまさん
おお紅
タンカン
マーコット
バレンタインフルーツ
ポンカン
これら全部、亜熱帯産のみかんだとのこと。色々あるものだ。送料かかっても、好きなものを口に入れるべきだ。
いかに目を開けないでもいられるか。目をつぶっていないと涙が出る。午後昼寝で7時に起きた。
令和3年3月12日 金曜日 激しい雨降り、風
朝から目を開けないように暮らしている。一番疲れるのはパソコン。
待ちかねていた本が2冊届いた。嬉しいけれど、読むのに目が耐えられるだろうか。
『神武天皇vs.卑弥呼』(大和建国を推理する)
『古代神道と神社』(天皇家の謎)
どちらも関裕二著。ファンだから嬉しい。それにしてもよくよく頭の良い人だと思う。
昼食はレバーを野菜で炒めた。石垣島牛肉醤油だからとても美味しい。
一度横にならないと、目が涙目になって、パソコン画面を見ていられない。
手のひらも熱い。以前は、手にアイスノンを持って仕事をしていたけれど、それってどうなのだろう。喉が痛いのはくしゃみのしすぎ。
令和3年3月13日 土曜日
令和3年3月14日 日曜日
教会はピンクの絹ドレスで。もう、裾にスリットが入っていないロングドレスでは行かないことにする。踊れない。
裂けてしまいそう。
最初の回はアニマル柄ブーツで踊ってしまった。
帰りに教会の車でいらしていただき、青い自転車をお引き取りいただいた。場所ができて感謝。
これで車のことを考えられる。
令和3年3月15日 月曜日
パウロ先生からお電話があり、びっくり。
そうか、そういうことだったのか。
やはり、暗いものを着ている人から醸し出されるものは暗いから、周りの人を全て不幸にしてしまうのだ。それは、電動自転車を差し上げた時から感じていたこと。ありがとうとも言われなかったし、文句ばかり。名義登録も何ヶ月もしなくて、どうしてそんなに時間がないのだろうと思った。
まあ、私がお手伝いできることなら、何かさせていただきたい。取り急ぎ、ミモレスカートさんにメッセージを送っておいた。これがお役に立てるといい。
令和3年3月16日 火曜日
1時間扉の前で待つとは。まあ、食べたり携帯の画面見ていたからいいけど。
洋服お直しの店にスパッツを持って行かないと慶良間諸島行きに間に合わない。
あの材質はパジャマにいい。ストレッチシルクだとベージュだから、生々しい。
カバンに入れておこう。
令和3年3月17日 水曜日
13日から17日(昨日)までのことを思い出しながら書かないといけない。
そういう時に、moneylookのデータが役に立つ。レシートに書いてある日付を打ち込んでいるから、その日に何をしたかは、何を買ったかでわかる。
朝からくしゃみが連続して出てくるから、部屋の中の埃をどうにかしないと。
まあ、だんだんにやっていこう。
悪霊が潜みそうな汚いところを片付けるのが大事だけど、どうしても後回しにして、庭に出ている時が一番楽しい。
庭にはいつも、何かやることがある。
庭や二階で植物の世話をしている時には、熱っぽく感じない。
令和3年3月18日 木曜日
お稽古から戻る時にダイソーへ寄って多肉植物を買おうと思っていたのに、なぜか、そこを抜かしてしまった。ニトリまでは、考えていたのに。
思うに、百円ショップで物を買うことで、チャイナのウイグル人弾圧に資金援助をしていることになるので、もう百円ショップで買い物をしてはいけないという神様からのメッセージだと思う。
コメリへ行って、土や、サボテン、セントポーリアを買った。セントポーリアを見るのは久しぶり。80年代は流行っていたのに、ここ数年、見たことがないから嬉しい。
食後、本格的に疲労して7時過ぎまでうだうだネットをして秩父の宿を予約したりしていたけれど、ダウンして寝て起きたら11時近くになっていた。
サラダを作って食べて、ゆずのバスクリン入りのお風呂に入り、3時まで頑張る。
令和3年3月19日 金曜日
お稽古の帰りに洋服サイズ直しに寄ろうと、黒スパッツをいつもバッグに入れてあるけれど、やはり金曜はここは定休日のようだ。
教会へ持っていくための多肉植物を小さな素焼きの鉢に入れて分ける楽しさ。
最近見つけた多肉植物を育てるサイトでは、投稿者が園芸インストラクターとなって丁寧に指導してくれる。
何箇所かに分けて置いておけば、いざという時に助かる。
アロエなんか強いので、放って置いても絶対に大丈夫と思ったら、武蔵村山の冬で亜熱帯のものをほとんど失ってしまった。でも、教会に持って行った金のなる木は室内なので、ちゃんと生き延びているから、そうやって、数カ所に置いておけば、リスクを回避できる。そのうち、持って帰り、株分けをして一つは家に置いておこう。
植物のリスク回避のやり方は、アレキサンドル・デュマの『黒いチューリップ』で学んだ。
令和3年3月20日 土曜日
午前中に美容院へ行って、カラー。前回行ったのは多分先月の27日だから3週間ぶり。カットは旅行から戻ったら、原宿へ行く。あ、予約取らないと。帰りが暗くなるから、それがネック。
ピンとジェルを買ったから、それで止めて、ボワっとしないようにしよう。
令和3年3月21日 日曜日 雨
教会へ行ったら、数週間入院していたタンバリンさんがいらしていた。嬉しい!
天鵞絨のスーツ上下と、伊太利屋のズボン、菊池村のお米をお渡しした。笑顔の美しい方だ。 今朝は雨だから、タクシーでいらしたそうだ。そんなことしたら、お金がかかって大変だ。
微熱があり、くしゃみが続くから、頭脳労働ができない。そうか、そういう時は、障子でも貼ればいいのかしら。すでに何枚もブリュンヒルデちゃんが破いてくれたけれど、旅行中にどうせたくさん破くだろうから、慶良間から戻ってからまとめてやろうと思う。
卵、アボガド、レバー、ピーマン、レモン、アーモンド をたくさん食べよう。シミにならないとのこと。でも、アーモンドなんて、チョコレートに入っているかおつまみ状態だけど、うーん、ちょっと食べにくい。これ以外のものなら、普段食べているから問題ない。
令和3年3月22日 月曜日
黒猫が夜中にすなをざっざっとやって、うるさいので、夜が明ける前に起こされてしまう。甘えてきたり、可愛いところはあるのに、やることが乱暴で困る。餌の上に猫草の土をかけるのを阻止するために、猫草を私のデスクの椅子の真下に置いた。そこに猫草があることを知っている猫が果たしているのだろうか。でも、餌の横に置くと、いつもの土ふりかけをやるので、こうするしかない。
黒猫はむっちりして、体重が重くて、寝ている時はとっても可愛い。白猫のこともちゃんと舐めてあげている。
ゆっくり起きて、朝ごはんの前に庭の手入れに専念。お腹が空いても全然気にならないで、ひたすら、植物にご奉仕するという感じ。裏庭にサクラソウがどんどん増えてくれるから、それを面に持ってこれる。
おかゆを食べて、お風呂に入る。久高島の会長さんにお手紙を書いた。書こうと思ってからすでに2ヶ月近くが過ぎていた。
そうしたら、昨日から用意しておいた田中金属への封筒出すの忘れた。
教会に百合とカレーをごんぎつねした。あの百合は、ちょうど復活祭の時に咲くはず。カレーは何回分として使えるか。
昨日雨が降ったのに、洗濯物が乾いていた。不思議。
令和3年3月23日 火曜日
お稽古の後、新しいサングラスを取りに行き、クリーニング屋、牛乳屋、寸法直し(黒スパッツ)に寄り、シモダとお百姓さんのところで食料を仕入れて戻る。
ものすごくたくさん眠った。回復した。
令和3年3月24日 水曜日
お稽古ない日は、朝ゆっくりお庭のことができるからいい。捜していた球根、デスクの下の床の上に見っけ。
ハブランサス・ロブスターというピンクの花で、植えっぱなしで毎年咲くらしい。そういう簡単なものがいい。一年草だと毎年植えないといけないから。
アスパラガスは、ブロッコリーを植えていた場所にとりあえず植えた、というより置いた。ブロッコーリーは、世話をする期間が長いわりに、大したことないブロッコリーの玉がつくだけでやる意味ない。
2階から苗を全部台所の窓辺に持って来た。その方が、日本ペットシッター協会のあんずさんを煩わせなく済む。
やはり8泊9日は長すぎるから、次回は、もっと短くしよう。ちなみに5月は7泊8日。それで十分。
令和3年3月25日 木曜日
お稽古の帰り、久しぶりに三輪治療院へ。
ああ、スッキリした。
戻ってご飯を炊いたけれど、焼肉食べたくないから、海苔の瓶詰めとゆかりで1杯食べた。お寿司も買って来たのに、食べたくない。2時間昼寝。
多肉植物のかわいさに魅せられて、時を忘れて没頭したい。地域柄、もうここではゴム、パキラ、アロエなんてことができないことがわかったから、方向性を切り替えて、室内で育てる小型の多肉にしよう。
でも、外に置かないとダメだと書いてある。これは困った。
慶良間から戻って来たら、本腰据えて、園芸に勤しみたい。
10月は台風があるから、やはり南へ行くのは難しいのかも。羽田発はすでに予約が入って、人気のない成田発しか残っていない。どうしよう。昨年の10月五島列島へ行ったら、ほとんど連日雨だったのを思い出した。雨でなかった日の方が少なかったかも。壱岐対馬を考えている。徳之島にしようか。
令和3年3月26日 金曜日
旅行前最後のレッスンが終わり、メゾンカイゼルでバゲットを仕入れ、牛乳屋に寄って戻る。
午前中をお庭で過ごしたムガベちゃんがいつものように出迎えてくれる。
1ヶ月あったのに、新しい電子本を出版しなかった。前の本をプチ編集したり、新しい企画を同時進行で始めてしまったから。
今日は、『辺野古の座り込みに行った』(先祖のご遺骨入り土でジュゴンの海に辺野古埋め立て)の写真編集に取り掛かった。これは戻って来てから続きをしよう。
『ぽっち女の離島巡り』写真集
令和3年3月27日 土曜日
今朝、4時に寝て9時に起きた。布団を全部台所から和室へ持って行き、掃除、買い物、洗濯、荷造りといろいろやったものだから、お昼寝のきっかけを失ってしまった。
猫マスクをようやく見つけ、それをカヤックでかぶれば、日に焼けないことを発見。さすが愛ちゃんはすごい。
洋服は2パターンしかない。来て行くドレス以外に1パターン。それでいい。
荷物を減らす。
早い時点でお土産を買わない。
明日は9時半に出発。11時半にクリーニング屋さんからブラウス二枚受け取り、12時に出発準備完了。新宿から羽田に着くと、あ、大久保から乗ろう、新宿駅混むから嫌い。1時に着いたら、2時のに乗れる。
令和3年3月28日 日曜日
羽田の午後便だと楽。朝お稽古に行くような時間に出発して、バイクを置いて、新宿から品川、羽田、那覇へ行く。
あれ、那覇に着いた途端に、鼻水が治ってしまった。羽田でも散々、鼻を噛んでいた私なのに。
泊港は、美栄橋というか、県庁前からもすぐのところ。港ターミナルの隣のビルがスマイルホテルなので、そこに宿泊。
ホテルで教えてもらった居酒屋さんのお料理が実に美味しい。そこの港はまた来ることがあるはずだから、その時にスマイルに泊まろう。安くて、清潔。
令和3年3月29日 月曜日
朝、泊港から赤島へ。トゥーラトさんが港で待っていて下さった。
この島はレンタルの原付バイクや電動自転車がない。仕方ないから、普通の自転車で3つの島を回ったけれど、結局、全部の景色は見られない。普通自転車で疲れて、情報蒐集の範囲が狭まるのは無駄なことだと思う。
とりあえず、
トゥーラトは、食堂部分、テラス、新築かリノベしてあって、きれい。お部屋にちゃんとユニットバスがついている。
令和3年3月30日 火曜日
朝、目の前の浜辺を散歩したけれど、そこが嘉手納海岸よりもっと前に米軍が上陸して来たという浜辺だった。
阿嘉島が一番最初だったとのこと。
カヤックの師匠、松尾さんが迎えにいらして、3名のカヤック。無人島二つに上陸。タイカレーを作って下さった。松尾さんはセンスがいい。
シュノーケリングもやった。
人里離れたところにカヤックベースを作っている。
集落に住んでいない島唯一の人だそうだ。
松尾さん、頑張れ。
令和3年3月31日 水曜日
朝、船で渡嘉敷島へ。島を降りて、自分で歩いて、宿へ。
前の宿が良かっただけに、ちょっとこれは勘弁だった。
私はコンクリートのむき出しや、煙草の煙が何より嫌い。しかもシャワーがひどい。
別のところを予約すれば良かった。
バイクを借りて、島一周。ちゃんとした原付だった。カゴもあるし、前ポケットもある。