まゆみさん その2)


1ページに100枚以上写真を入れると重くなるので、「まゆみ1」には、100枚だけにして、ここに「まゆみ2」を作った。

最初の数枚は、まゆみさんがまだ社会人として活動していた時の写真を入れることで、どれくらい元気だったか対比がわかるようにした。

「あの」新興宗教へ行く前までは、本当に元気だったから、とても悔しい。

筋肉を使わないと脳が冒される。

だから、たくさん運動をしないと。病院は立派なリハビリ施設はあるけれど、そういうとってつけたようなものでは、筋肉の訓練にはならない。大切なのは、日々、普通の生活の中で筋肉を使うこと。


以上の写真は、平成30年。

この頃までは、笑ったり、喋ったり、表情があり、食事は、車椅子で食堂へ行き、食器もちゃんと自分で手に持って食べていたようだ。

ところが、平成31年、令和元年になり、右胸に癌が見つかり、日増しに非常に具合が悪くなり、ベッドを、別のところへ移された。

そこには、いざという時のために酸素吸入ができるような装置が壁に埋め込まれているい。

食べられない時は、そこから点滴をして、酸素吸入をするとのことだ。
食べる量が減ったから、途端に、表情がなくなった。

病院側も、もう、毎日可愛いヘアスタイルに結ってくれなくなった。

本当は、そういう写真は、掲載したくないけれど、このサイトは、親族にしか見せない、秘密サイトで、リンクがわからないようになっているから、とりあえず、令和になってからの写真も掲載することにする。

見るのも辛いけれど、でも、一番綺麗で、輝いていて、ベストドレッサーだったまゆみさんをいつも思い描けばいい。
あの人は、素敵だ。

「むっちゃん、まゆみに、お顔だけ似て、お心は似ないでくれて、ありがとう」

と、亘さんは私に言ったけれど、亘さんは、よほどまゆみさんに一目惚れしたのだろう。
結婚しないで、恋人にしておけばよかったのに。

あーあ。

 

令和元年10月15日、まゆみさんの病室が、集中治療室へ移された。

ナースステーションの目の前。
15日も16日も最初の数秒は微笑んだ。

現在55枚、あと45 31年1月17日。1ページに100枚まで掲載できるとのこと。

まゆみさん、やっぱり口紅つけるときれいになる。でも口紅をシーツや毛布につけそうで、病院に叱られそうだから、帰る時に次回は、落とそう。



心拍数は60−90が妥当だとのこと。

100を超えているのは、ちょっと多すぎ。