令和7年7月25日 金曜日 晴れ 96
昨日買ってきた土でポーチュラスの2鉢目を植えて、門柱の両側に。
今年はパンジーからポーチュラスに取り替えるきっかけが少し遅かった。それは、増富温泉の6日間が心配だったから。
ナスはパセリの隣に植えたからいいとして、不思議なのは、ミニひまわりと黄色の小さなお花。これら二つは、どこへ行ってしまったのだろう。
次は、8/2土曜日出発、8/3,4は竜王ラドン、8/5に丹波山の旅館に泊まろう。
多分、20号線で戻るとか精神に悪くて出来ないだろうし、141経由で120キロくらい。
1日に100キロ以上走るは、身体にはバイクにも良くない。
今日は28件、合計¥295820やった。途中眠くなったけれど、寝入ってしまって注文を逃すことはなかった。
緑のポワポワは、つけられるだろうか。結局、これ、鳥の羽毛を集めて作ったものだと思う。
これを使うと、黄緑は完成するけれど。
皇紀2685年 令和7年7月26日 土曜日 晴れ
ハッと気がついたら、夜中の3時半。電気も扇風機(強)もつけっぱなし。
ああ、またやってしまった。起きて、お風呂に入って、また寝た。
お花にお水をあげて、伸びたトケイソウを切った。午後にまた水やり。
昨日18件やり、今日14件の時点で96に戻ったけれど、安定していないから、最低昨日の記録まではやるべき。
朝の時点で胸肉焼いておいて良かった。私はお腹が空かないから、作ったものも食べられない。昨日作ったワンタンを5個くらいだけ食べよう。あとはもういらない。
明日、教会の帰りに桃を買って来よう。果物しか食べたいものはない。デラウェアが甘く感じなくて、食べられなくなった。
皇紀2685年 令和7年7月27日 日曜日 晴れ
パンダ蝶々がゆっくり寛いでいる。ここで生まれたのでしょう。
先週に引き続き、また一番にインマヌエル教会に着いてしまった。そこへ行く途中、先週例の家を右手に見たら、黒い車が停まっていたが、今日は、黒い車が停まっていないどころか、家の売り出し幟旗が何本も立っていた。そうか、そういうことだったのか。
結局、持ち家や自家用車があったら、一家全員4名が生活保護をもらうなどということは、できない。国のお金を期待するより、まず持ち家や自家用車を売ってお金を作るべきのだと思う。
父親と長女が入院しているのなら、母と末の娘二人だけなら、狭いところに引っ越したほうがいいと思う。母親の仕事の価格設定を3千円ではなく、ちゃんと4-5千円取ればいいのだけど、なにぶん、仕事が雑で仕上げが荒削りだから、3千円が限度なのかもしれない。
丹波山の猟師民宿故郷の予約をしないと。竜王を出て、夕食の時間までにそこへ着くだろうか。
20号線から美術館通り52へ出て、平和通りを左折すれば、411に出られそうだ。411はその手前の辺を、城東通と呼んでいるようだ。その後も411は城東通りという名前でずっと続くようだけど、何しろその通りへ行けさえすれば、あとは自動的に大菩薩峠へ行かれる。先日は、411の道路幅が広かったので、いささか萎縮してしまったけれど、走ってさえいれば、いずれ片側1車線になるのだから安心してもいい。
ところで、涼しげな曲は、Debussyの”Arabesuque"No.1 in E major. 1分半のところからちょっとたるい感じになるかなという気がするけれど、2:47からまた最初のところと同じになるから、ま、許そうという気もする。
何日振りかわからないほどだけど、ご飯を炊くことにする。おかずはハンバーグつくらないと。ワンタンと両方作っても余る。
本当に必要な仕事が全然できないまま夜になってしまう。
皇紀2685年 令和7年7月28日 月曜日 晴れ
1日中外へ出ないで、今日こそ染めようと思って、わずかな面積をつくったけれど、疲労感があり、結局できずじまいだった。
掃除は亀のように鈍いけれど、昨日より今日の方が良いのだと思う。飛び散る猫の毛の量に打ち勝つ速さで掃除をしないと、たまる量の方が多ければ、結局、猫の価値。ゴミの勝ちとは言わない。猫ちゃんから出るものは、地球のお母さんにとっては、 ゴミでも何でもないと思う。今日やれた唯一のことと言ったら、丹波山の角や旅館の予約をとったこと。
日本ペット協会さんにお願いしたこと。
たまにご飯を炊くのも良いのかもしれない。もしかして、今月初めてか。2合炊くと3回あるから、1回目は普通に、2回目はお粥、3回目はチャーハン。明日白丸湖へ行くから、帰りにお肉買ってこよう。
皇紀2685年 令和7年7月29日 火曜日 晴れ
白丸湖でカヤック。先週の今日やっていたわけだから、1週間に一度は漕いでいることになる。湘南海岸に行かれなくても、なんとか感を失わないようにしたい。
先週と違って上流に行かれたけれど、下る時、岩を避け切れなくて、ぶつかって、水に放り出されて、いやりんぐをなくした。
もう少し早く左へよけていたらよかったのだけど、浅いから艇の底をすらないように気を使い過ぎてしまった。
帰りには、クールマントを忘れたと思って、川井から御岳まで戻ったりして。
何のことはない、バッグの中にあったのだけど。
ともかく戻ったけど、先週ほど疲れなかったのは、食べないで運転したから。先週は食べた直後に運転したから睡魔に襲われた。
朝、出かける時に時間がなくてお水やらずに出かけたから、すぐにあげた。ごめんなさい。
皇紀2685年 令和7年7月30日 水曜日 晴れ
黄色いサマーブーツが届いたけれど、これの方がフィト感があっていい。ベイジュのシリーズより、底が大きくないのも履きやすい。バイクを立てる時、底が大きいと踏みづらい。
ご飯を炊こう。お米の研ぎ方も忘れてしまったようで、でも途中から気を取り直して、ちゃんとやったから大丈夫。
夜の7時過ぎて外が真っ暗になってしまったけれど、夕方にお水撒きするタイミングを逃したから、今からでもやらないよりはやった方がいいだろう。やった。
駐輪場側の外の吊り植木鉢に何か綺麗なもの植えないと。これ、前は芝桜だったと思う。そのあとパンジーになって、今、何もない。来週、戻って来てからにしよう。出かける前はダメ。多肉にお水あげよう。
皇紀2685年 令和7年7月31日 木曜日 晴れ
何か涼しく感じる。
午前中いくつかお取引をしたら、 simplecomという多分南米移民だと思われる人に引っ掛かり、その時からイオンが止まった。本日、イオンに¥22000くらい入っていたけれどそれをすぐにjcoinpayに移しておかなかった私が悪い。安心してはいけない。イオンに電話をして停止手続き。残金は返金されるのだろうか。こんなにたくさん取引をして、まだその根本的なところを理解していなかったとは。多分、イオンだから安心していたのだろう。
イオンモールで下ろすようなこともないから、そもそもカードそのものがどこにあるかわからない。見たこともない。
ああ、やってしまった。慣れているから大丈夫だと思っても、それでもやはり気を抜いてはいけない。
羽根を脱色しよう。これまでどんどん延ばしてきた。日が暮れると疲れて寝てしまった。今、今日と明日しかない。
留守の間に百合が咲いてしまうかも。脱色液を作ってから、刷毛が見当たらないことに気がついた。
余った歯ブラシでささっと塗ってしまう。置いて、色を定着させて、洗ってから干す。
それを終えた以前の白い羽根はどこに置いたか。捜さないと。片付けてない場所は、常にものがなくなってしまう。
皇紀2685年 令和7年8月1日 金曜日 晴れ
明日の朝、早く出たいから、明日全部効率良く終えないと。まず朝、美容院へ行く。
と思ったら、結局美容院へ行くのは午後になってしまった。あの美容院はいつも混んでいるのに、今日は何故かお客が私一人だったので、びっくり。みんな、迫り来る台風を気にして、外出を控えているようだ。
カルビーを買って、チャーハンを作った。
衣装をビニールに厳重に包んで、別の袋に入れたのは正解。
皇紀2685年 令和7年8月2日 土曜日 晴れ
朝、9時頃出ようと思ったのに、ぐずぐず色々なことをしていたら、11時45分になってしまった。
411を通って、上は20度と涼しかったけれど、塩山で降りたら、32度になっていた。
桃屋さんでいろいろ情報を仕入れて桃を買った。箱が嵩張るけれど、綺麗な状態で運びたいから仕方ない。
スパランド内藤は、もう一度行けと言われたら、もう2度といかれないような場所にあったら、20号線を走らないでなぜか、横切るだけで奇跡的に行かれた。
ホテルの部屋はとてもいい。お風呂は、石和のクアハウスよりいいかも。ただし、温泉ではなくて、ナノの循環湯。ワイン風呂、檜風呂、薬草風呂などがあり、お風呂の中に岩盤浴、ドライサウナ、塩サウナが三つ並んでいる。お風呂から出たら、疲れすぎて、放心状態で、もう夜再び入ることなどできないほど疲労困憊。
皇紀2685年 令和7年8月3日 日曜日 晴れ
そのまま朝を迎え、朝風呂に。
9時に出発して、甲府ルーテル教会へ。近かった。
みなさん、良い方ばかりで、歓迎していただき、恐縮した。それぞれの人たちが、皆、責任感を持って、準備に勤しんでいて、気持ちがいい。礼拝の後、ご挨拶がわりにドビュッシーの『アラベスク』を踊らせていただいた。お土産は小笠原のお塩11袋。数名足りなかった。申し訳ない。代わりにカヤックの本をお送りしますから、許していただきたい。
たまたまその日は、浅野先生のお誕生日で、みんなでお誕生会をして、助六をご馳走になった。ありがとうございます。
100歳の本物の紳士の方がいらして、とてもきちんとした身なりだった。
52号線の美術館通りに右折し忘れたため、20号線をしばらく走ることになったのはストレスだった。
竜王ラドンに辿り着き、疲れ果てて、すぐに温泉に向かえず、3時間くらい布団に倒れて寝てしまった。
夕方に1回、夜、ラドンの気泡が消えてからまた1回お風呂に入った。
来るたびにどこか設備が綺麗になっていて、ちゃんと設備投資に資金を回しているのを見て、嬉しくなった。全部いっぺんに浴室のカランや鏡を直さないところが、竜王ラドン風というか。努力の跡が見えるのは良いこと。
皇紀2685年 令和7年8月4日 月曜日 晴れ
一歩も外へ出ないで、一日中ラドン温泉をした。朝晩食事を頼んだ。毎回、既製品のきゅうりのQちゃんみたいなものが出てきて、それがここで食事を頼みたくない理由の大きな理由の一つ。
お風呂に入って、だらっとして寝てはお風呂の繰り返し。
映画監督さんが竜王ラドンにやって来て、休憩時間の1時間に長い間の情報をアップデートした。
お病気でひどく痩せていたのが痛々しかった。動いて食べてというのが生命力だから、それができないのは本当にお気の毒。でも、色々なことに才能があるから、それを活かして、人生を楽しんでいただきたい。
晩御飯の時に、給仕をして下さった方が、たまたまクリスチャンのダンサーだった。こんなことってあるのだろうか。
20名のチームがいたけれど、コロナ以降、3名になってしまったとのこと。
甲府ルーテル教会で踊らせていただくといい。あそこは、なんでも受け入れて下さる。
今日はラドン温泉を強行スケジュールであまりに回数やりすぎたため、最後の方は、湯当たりして、景色が揺れてしまった。
移動が全然なく、ひたすら温泉だけという日は必要なのだと思う。
白丸湖の川下りで作った青あざや切り傷は、嘘のように消えてしまって、腕は何もなかったかの如く、元のまま。
これはよく効く。
皇紀2685年 令和7年8月5日 火曜日 晴れ
朝10時にまだ部屋でバタバタしていたら、電話がかかって来てしまい、慌ててロビーへ降りて行った。チェックアウト時間にギリギリでたくさんの荷物と共にフロントへ行くのが私の日常。
52号線を通れば、最初の数十メートル以外、20号線を使わなくても411のそれこそ一番最初くらいのところへ出られて、そのまま何も考えずに丹波山へ行かれるとわかった。
今日は、不思議なことに、来る時に通った、柳沢峠の新しく工事をした道を通らなかった。どうしてだろう。古い道しかなかった。展望台とかある、あそこがなかったということは、他の道があるのだろうか。あとで地図で見たけれど、わからない。
かどや旅館は、つっかけハイヒールで新宿から運転して、砂利道で足を取られてひっくり返って、捻挫した苦い思い出がある場所。
のめこい湯に行って、ぬるい水風呂(29度)に何時間も浸かっていた。私は熱いとか冷たいより、水に近いほとんど水みたいなぬるいのが好きなのだと思う。そうか、黄金楼の源泉と同じ理屈。
かどや旅館は部屋がやたらと広いけれど、面積はその半分でいいから、出口近くに鏡と、洗面台と、トイレとできればシャワーブースと冷蔵庫ときれないWiFiがあれば、ここは食事が美味しいから、ワーケーションとかできるのに。
皇紀2685年 令和7年8月6日 水曜日 晴れ
朝ごはんに出てきたさまざまな手の込んだ自然の賜物のおかずが素晴らしい。手をかけ、心を尽くして作るとこうなるのかという見本。竜王ラドンに見せてあげたい。かどや旅館は必要なものが何もないけれど、このような、心を込めた田舎風のお料理に価値がある。
朝10時に旅館をチェックアウト。道の駅に寄らず、ひたすら家路を急ぐ。丹波山から家まで、2時間半。
ということは、丹波山から御岳のカヤックベースまで1時間半ということになる。
掃除、洗濯、溜まったいろんなことの始末。
皇紀2685年 令和7年8月7日 木曜日 晴れ 涼しい
こんなに涼しく過ごせるなんて、本当に幸せ。扇風機だけで、寒いくらい。
足が冷えるから、靴下を履かないと。
bybitずっとお休みしていたから、14件やった。この調子で毎日やっていたら、220くらいにはすぐに戻れるはず。ただし、95を96にするのは、大変。
冷蔵庫の中を整理したい。明日の白丸湖が終わったら。
筋トレして寝よう。
皇紀2685年 令和7年8月8日 金曜日 晴れ 暑い
ここ3週間毎週、白丸湖へ行っている。8月中はそうしよう。9月から湘南海岸になる。
横に曲がったり、ぐるぐる回ったりしなくても、直進できる距離が長くなっているかもしれない。
力が足りないから、なかなか流れに逆らって上流へ漕いで上がれない。
今日は岩に激突しなくて本当に良かった。
吉野街道を通ると、自然の懐に抱かれたような気持ちになり、秩父多摩甲斐国立公園の中にいるのだと実感できる。梅郷まで。その後、友田を左に、奥多摩街道を右に行くと、自然と羽村教会下の川沿いの道に出ることがわかったから、次回はそれで帰ろう。そうすれば、青梅の殺伐としたコンクリート壁を通らなくて済む。
皇紀2685年 令和7年8月9日 土曜日 晴れ 涼しい
昨日疲れたせいか、今日は朝からだらっとしてしまっている。お風呂も午後3時になってしまった。
食べる種類や量はたっぷり。
嫌だけど、昨日から始めた1日一個納豆を食べるのを習慣にしたいと思う。次は半熟卵を入れればもっと美味しく食べれるかも。
昨日の白丸湖で泳ぐオシドリの親子、可愛かった。
雛はまだ弱くて小さかった。お母さんの後をついていく。
皇紀2685年 令和7年8月10日 日曜日 晴れ 涼しい
午前中はうだうだしてしまった。それでもお取り引きは2件できた。
今にも振りそうな、暗い空。
『安く行かれる温泉』今日から始めよう。これ出版するまでは、どこかへ泊まりに行ったりしない。
皇紀2685年 令和7年8月11日 月曜日 曇りみたいな緩い晴れ 涼しい
何かをする時に、単発的にやると偶然みたいな成果しか得られないけれど、それが継続性を持った定期的な行動になった時、意識してことを行うことができて、コントロールをつかみ、成果を出せる。
これってルイジの本の中で言われていることと同じだと思う。バレエ行こうかな。
洗ってない顔にメイクしたブスを見たくないのと同じで、訓練していない身体で何かやっても見にくいだけで見たくない。
1日1万円をちゃんと定期的に稼ぎ出していれば、そういうこと問題なくできる。次の増富温泉行きは、本をプレゼントするために行かないと。
でも金沢八景が終わったら、すぐに諏訪へ行った方がいい。諏訪と増富温泉の両方は同時にできない。諏訪だけでも7泊8日になる。
昨日から百合が咲き始めて、今日は2つ目が咲いた。やはり、水をたくさんもらっているところが有利なようだ。
これから何日か雨になるようで嬉しい。それはつまり、日本のどこかが大風で大変な思いをしているということ。
だから、今日は涼しいから嬉しいなんて、本当は言えないこと。
ソーラーパネルが多く設置されているから、気温が上がる。子供の頃の夏はもっと涼しかった。
皇紀2685年 令和7年8月12日 火曜日 朝から涼しい
今日は本当に涼しくて、過ごしやすい夏の1日。
この過ごしやすい日は、他の県の方々が、台風で被害に遭われている現状の結果。
だから、自分の住んでいるところがしのぎやすい良い日だと思っていても、自分が涼しく過ごしやすい快適な時間を送っているのは、他の地域の方たちが、辛い大水や大風に晒されている結果なのだから、困っている地方の方達に心を配らないといけない。
明日、市場がお休みだから、今日、これからすぐにシャワーに入り、お肉を買いに行こう。今度は買ったらすぐに今日のうちに料理する。
皇紀2685年 令和7年8月13日 水曜日 今日も朝から涼しい
今日も涼しいけれど、湿気がある。
除湿機何台買って、捨てたか覚えてない。もう買わない。
そのうち乾燥する冬が来るから。
今日こそ裏庭やらないと。道を通る人が見て、美しいと思わない、変だ、汚いと思われたら、住んでいる人の品性も疑われてしまう。ともかく、プロパンガス屋さんのために、草切りをする。完全武装しないと。
皇紀2685年 令和7年8月14日 木曜日 今日も朝から涼しい
急いで用意をして出発したけれど、白丸湖に着いたら遅刻してしまい、申し訳なかった。バイクを吉野街道の駐車場に置いて、なんとそのままヘルメットを被ったまま白丸湖へ行き、スラローム艇に乗って漕ぎ始めてしまった。工藤師匠も漕ぎ始めて、その時やっと師匠が、ヘルメット着用をご指摘下さった。
おやおや。そのままだと頭が重くてバランスを崩して沈みやすいので、脱いで、船着場の岩の上に置く。
遅刻はする、ヘルかぶってる、とんでもないスタートだった。
お盆休みのため、いつになく湖に人が多く、それは御岳の駅前のバス乗り場に数十名がケーブルカー行きのバスを待っている姿で確認した。
10回以上漕いでも、グルグル回らなくて良くなってきた。子供のオシドリは、まだ小さいのに、たった一人ぼっちで、静かに泳いでいて、さぞかし人間たちが怖いだろう。この湖にC国人が来ていないことがせめてもの慰め。あれらが来たら、みんなでまだ飛んで逃げられないひなを追い回して、奈良の鹿の白丸湖版になってしまう。私はへずまりゅうの奥多摩代りになってあげられないから、ともかく、あれらの人々の来襲がないことを願うばかりだ。
毎年、鳥のお母さんが安心して、この湖で産卵し、子育てをしてくれることが嬉しい。
この子、今日、飛ぼうとしてたけれど、羽ばたいても50センチくらいしか行かれなかった。
お母さんは、もう子育てをしてくれないのだろうか。
小さいのに、自分でお魚を捕まえてご飯にしないといけないこの子が、来週も元気に生きているように。
Supはうるさいから来るなと思うけれど、仕方がないのだろう。お構いしないサウナSupは、本当にビジネス感覚すごい。
湖に行かなくていいのだから、ベースでサウナの世話と予約取りだけしていればいい。
吉野街道で帰る時、暑さで思わずふらっとしてしまい、倒れる前に縁石に足をつけてドリンクを飲んだのが良かった。
これで気を取り直して、今日は羽村教会の前を通って、帰った。この道の方が青梅街道よりずっと好き。ただし、朝急ぐときは、まっすぐな青梅街道を通る方が、距離は短いと思う。戻って来てから、お花のお水やった。百合がたくさん咲いた。今日が一番美しい時かも。
皇紀2685年 令和7年8月15日 金曜日 朝からすでに暑い
高尾に行こうと思っていたけれど、途中で熱中症で倒れてしまうといけないから、お天気が落ち着いてから行くことにする。今日は心の中でお参りする。bybitは17件やった。
皇紀2685年 令和7年8月16日 土曜日 朝からすでに暑い
昨日は17やったから、今日は13でいい。
諏訪行きがどんどん具体的になってきた。時期は、10月28日出発くらいか。かなり大ごとになるけれど、勝手知ったところを通るから面白い。8日だとすると、宿泊費8万円➕雑費4万円、それとカヤック代がかかる。予算15万。
交通費がほとんど無料というのがすごい。
皇紀2685年 令和7年8月17日 日曜日 暑い
午前中はbybitやらずに過ごし、午後から教会。筑田牧師の代わりにいらした鷲見牧師、鋭い。
ふんわり、安易にまとめてしまわずに、具体的な固有名詞の地名や人名などを挙げてお話をなさって、時事問題や国際情勢、それに対する判断能力などが高い方だとすぐにわかった。お話が具体的で頭の良い方。シャープ。抽象的な言葉でふわっとまとめたり、意味のない形容詞に逃げるのではなくて、きちんと話す鷲見牧師は、大した方だと思った。
買い物。鰻ではなく、穴子の蒲焼を買った。梨の種類が少なくなっている。長十郎、二十世紀、幸水、いろいろあるはずなのに、幸水I種類しか売られていない。
コメリには寄れなかったから、門柱の上に植える植物買えなかった。
切った後に塗るメネデール買わないと。
百合は神様の花だから、家の前が、「百合の小径」になっている。今日が一番綺麗な時。
皇紀2685年 令和7年8月18日 月曜日 暑い。夕方土砂降り
下田医院へ行き、結果を聞く。眼科にも行かないといけないようだから、そのうち予約を取ろう。明日白丸湖だから、早く休もう。
皇紀2685年 令和7年8月19日 火曜日 暑い。夕方土砂降り
御岳から吉野街道の駐車場にバイクを置いて、フェリーグライドへ。工藤師匠は、今朝ぎっくり腰をやってしまったとのこと。
白丸湖では、川下りをした時に、岩を避け切れずに、というか、岩に艇がぴったりくっついて離れなくなって、艇がひっくり返って沈んでしまった。そうか、二つの岩の間に水が流れているから、その近くに寄ったら、引き寄せられてしまうのだ。
絶対にパドルを離してはいけないと思い、掴んだままで、スプレースカートの前の枝が挟まった紐を取るのを忘れて、変な場所から脱出し、
左手でパドルをしっかり握ったままになり、ブレードに水の流れが当たり、どんどんそちらヘ引っ張られて、
水面に顔を上げたら足が立つところで、砂利砂地に上陸。
工藤師匠は、ふたつの岩に挟まったスラローム艇を救い、私はパドルを握ったまま、茫然と緑の山を見ていた。
ああ、またやってしまった。
艇に溜まった水を出して、工藤先生はその日の朝、ぎっくり腰をやってしまったのに、本当に申し訳ない。明日大丈夫だろうか。
小さな湖で漕ぐ場合は、パドル離した方が良いとのこと。そうか、海とは違うのだ。
私はパドルは死んでも離してはいけないと考えていたが、ブレードに水が当たり、腕を持って行かれまいとして力を使い、腕が脱臼するからとのこと。
白丸湖から御岳のカヤックベースに戻って来たら、左腕が痛くて上がらなっていたが、なんとか原付きを運転して戻った。
もう疲れ果てて、そのまま布団に倒れ込んで数時間起きられなかった。
穴子の蒲焼きをおかずにご飯を食べた。美味しかった。
鰻は国内で稚魚からの養殖が成功したとのことだから、そのうちきっと安くなるから、それまで待ってもいい。
皇紀2685年 令和7年8月20日 水曜日 暑い
百合の道は本当に美しい。一つの茎に最高8個の蕾がついている。1年にひとつづつ増えていくというけれど、この種はそういう種だったのだろうか。右斜め前の家には3つくらい咲かせている百合が咲いているけれど、絶対にもうこの道から行った種だと思う。
起きたら、腕の状態は良くなった。右より重いけれど、昨日のような痛みはない。
ただし、脚に青痣がいくつもできていて、川下りの勲章。
目の前に岩が迫っているのに、瞬間に避けられない私は、細かい制御ができないのをすごく自覚した。
方向指示器がついていない、底が滑りやすい艇でまっすぐに漕ぐのは難しくすぐに曲がってしまっていたが
なぜか十回以上漕いでも曲がらないで、まっすぐ進めるようになった。
夕方睡魔に襲われて2時間くらい横になったので、結局、晩御飯を食べるタイミングがなかった。
せっかくコメリでお花を買ったのに、暑くて植え替えしたくなくて放置してある。おはなさん、ごめんなさい。
石原慎太郎元都知事が二つのことをするのは、できるのだと言っていた。
皇紀2685年 令和7年8月21日 木曜日 暑い
まゆみさんのお誕生日。何かお供えするものを買ってこようとしたけれどその前に、イオン銀行に電話をした。担当:石井(F)。まさに話途中で切れること2回。残金を返したくないのだろう。7/31に全部出してjcoinpayに送っておけばよかった。
この銀行は、Jcoinpayに対応しているから便利。ただしJcoinpayを通さないとコトラに行き着けない不便さはあるけれど、Jcoinpayに対応していない多くのところよりはるかに便利。例えばソニーなんか使えない。やはりソニーはairwalletにも登録できないからネットワークで繋がっていない。auじぶんくらい孤立していてもせめてairwalletに繋がっているから他の銀行と関係が保てるけれど、ソニーは孤立しているから振り込み手数料がかかり不便。
皇紀2685年 令和7年8月22日 金曜日 暑い
今日から最低取引額を上げることにした。件数を多くするために下げたけれど、今は、件数を少なくするため。
今週は 白丸湖に行くのが火曜日でよかった。後半が長く使える。
来週も火曜日にしよう。月曜日は眼科だから。ともかく一つのことを週に一度はやっておかないと、ちゃんと技術や気持ちをキープできない。
というか一番いいのは毎日それに関わること。踊りをやっていた(る)から、誰よりもよくわかる。
諏訪で踊ろう。それに向かって、さまざまな目先のことを処理して行こう。
皇紀2685年 令和7年8月23日 土曜日 暑い
眠くてだるくて、仕事が運ばない。ドルがいきなり2円暴落したので、取引が4ページに目に表示されるくらいにしかならない。それでも山本、佐藤、お茶連、京極のような常連は来た。
石原都知事はものすごいエネルギーで執筆をした。石原邸:
次回湘南海岸へ行ったら、観光の時間を作ろう。朝早く出て、色々見て3時にチェックインというのがいい。
前回は、湯の市へ行ったけれど、良い温泉に出会うともうそういう循環湯に入れなくなってしまった。
皇紀2685年 令和7年8月24日 日曜日 暑い
午前中のうちにセブン銀行に行き、チャージしてからお肉を仕入れて来た方がいい。そうすれば教会の帰りにすぐ戻れる。
お肉を買って、冷しゃぶを食べた。桃、梨、キウイを仕入れた。
あまり2ドルが急落したので、お取引が成り立たない。いよいよ赤い日々草を植えた。
もっと早くやっておけばよかった。可哀想なことをした。植物を買うところまでは出来ても、植え替える作業をすることがなかなか難しくて、買ってから通常数日経ってしまう。
皇紀2685年 令和7年8月25日 月曜日 暑い
外は暑いけれど、ほとんど水みたいなシャワーに入ると、扇風機だけで、寒すぎるくらい涼しい。
寝転がって読書をしたい。『湘南夫人』はどこへ行ってしまった。
おしきりに眼科治療に行った。瞼をくるっとされるかとドキドキしていたら、それはされなくてよかった。
高血圧のことを言われたけれど、薬なしで、睡眠と温泉と食べ物で治した。薬なしで身体を整えることが大切。
明日は白丸湖だから、早く休もう。
皇紀2685年 令和7年8月26日 火曜日 だんだん涼しくなってきた
羽村の駅のところ、線路の反対側に住友銀行があるのがわかったから、そこに入れてから行こう。
と思ったら、結局、ちゃんと電気を消したのが4時過ぎだったので、朝起きて急いでシャワーをしたら、もう、桃を一個食べる時間しかなくて、飛び出して行ったので、普段通り青梅街道で行った。気温が下がっているのを感じる。150回漕いでも、回らないでまっすぐ漕げるようになっていてびっくりした。以前は、10回もできなかったのに。それに、まっすぐ漕げなくても、サーフスキーは、方向指示器がついているから、関係ないと思っていた。
上下の差があまりないので、今後は、行きも吉野街道から行こうかなと考えている。帰りに住友に寄った。そうか、羽村にそんなものがあるのだ。
戻って来て、facebook投稿までやってしまったって、時間の使い方、すごすぎる。
皇紀2685年 令和7年8月27日 水曜日 夕立で涼しくなった
昨日から左膝がちょっと問題。曲げ伸ばししている時に分かる。右は痛くないのに、左は痛い。
だから昨日崖を登る時にあんなに辛かったのかも。
ともかくアラベスクパンシェやバーストレッチなどいろいろやって、多くの部分を使うようにする。
カヤックは同じところだけしか使わないから、運動としては、ダンスのほうがからだのためになると思う。
そうか、鍵を強くしないといけないから、明日は鳥の骨付きを今度は焼こう。最後にタレを塗って焼くのはどうかしら。
最初から塗ると焦げるから。余計な雑貨が大量に届いた。スリッパ類は何種類か買っておいたから、宿泊先に持って行こう。向こうで出されるのは気持ち悪くて人とシェアできない。
9月になったらシャワーやめてお湯に浸かろう。明日は早起きして高尾へ行く。行き先は2箇所。メイクは向こうへ行ってからやるという手もある。家からやると途中で崩れる。
皇紀2685年 令和7年8月28日 木曜日 涼しくなった
左膝がますます問題になってきた。
だからというわけではないけれど、7時半に家を出ようとしたのに、思い切り遅くなり、結局高尾警察署に着いたら、午前中の11時半までの受付が終わり、午後1時まで待たなければならなかった。
読書したり、コンビニサンド食べたり、大菩薩ラインの謎のきのこ屋管轄の日下部警察の連絡先を教えられたが、それって石和温泉より向こうにあるから、遠すぎないか。
あれは、大菩薩の湯より手前だと思う。まあ、いい。車を道の脇に捨てる人なんて、沖縄の離島にしかいないと思っていたら、山梨の山にもいた。
狭い免許証更新場は素晴らしい。さんざん鮫洲で更新し、こちらへ来てからは1回か2回刑務所のあるところ、ええと、あ、そうそう府中へ行ったけれど、やはり大きいので、今回小さい場所を選んで本当に良かった。同じことをするのなら、私はもう大きな施設には行かれない。
高尾警察で新しい免許証をいただいた後、お墓へ行った。先週は暑かったけれど、今日行って良かった。暑さが薄らいで行った。
お墓の中を歩いたせいか、戻ってきたら、左の膝が桃のように腫れていた。全く曲げられない。
実は原付バイクに乗る時に、膝を曲げると、激痛が走って変だと思いながら、左足だけ伸ばして車体につけていたのだけど、まずいことになっていた。
皇紀2685年 令和7年8月29日 金曜日 涼しい
左膝、痛い。夜中トイレに行った時もずっと痛くて、左足を伸ばしたまま移動していた。
原因を考えるに、火曜日の白丸湖で何か特別な事件は起きなかったから、思いつかない。
湖から岸に上がり、青梅街道まで登る時、普段も疲れるが、その時は脚の後ろの筋肉が痛くて、普段より長く時間がかかってしまった。
家まで原付で戻っても、特に問題はなかった。
症状が一気に悪くなったのは水曜日で、特に何もできなかった。昨日の木曜日には、原付に乗る時に、膝を曲げないといけないので、それが辛くて、原付の側面に膝を伸ばしたまま脚をだらりとさせていた。理論的には、その方が重心が下になるので、安定は良くなるけれど、ぶつけられたら剥き出しだから危ない。
温泉に行かれないから、家のお風呂に入浴剤たくさん入れて入ろう。竜王ラドンに足を引きずりながら3泊で行ったら、多分帰る時には颯爽とした姿でチェックアウトできるだろう。あそこは問題は、食べ物。隣や目の前に飲食店があるけれど、お風呂に入ったら、疲労困憊しているので、寝ているしかできず、洋服を着替えて食べに行ったりできないこと。、
皇紀2685年 令和7年8月30日 土曜日 再び暑い
たくさん寝たから、回復しているのだと思うけれど、まだ腫れが残る。
保冷剤は効果的。明日バイクに乗れないと教会に行かれない。
青梅街道から白丸湖の船着場までの崖を降りたり、まして登ったりできないので、当分、あそこへは行かれないだろう。
そうか、明後日の月曜日から3泊で竜王ラドンへ行くというのはどうだろうか。
出発日にラドンへ辿り着けるだろうか。スパランドへ行かれたのだから、理論的には行かれるかもしれない。
というのは、とりあえずというところに初日に行ってしまうと、せっかくのラドンをやる時間が少なくなる。
スパランドへ行かれたのだから、日の出温泉へ行って、翌日ラドンという手もあるかもしれない。
やるべき仕事をしないで、ずるずる伸ばして、楽しいことを先にやろうとするのが私の悪いところで、それを戒めるために神様は私に脚の怪我をお与えになったのだと思う。
皇紀2685年 令和7年8月31日 日曜日 再びすごく暑い
意を決して教会へ行った。左膝を曲げずに原付を運転するのは、ちょっと難しいけれど、まあ、やればできないことはない。
礼拝の間、起立しないといけないところは、すべて座って済ませ、左膝を曲げられないので、前の座席に載せさせていただいた。前の人の真後ろにいたため、その男性のお尻に足先が触ってしまい、自分でもギョッとして、礼拝後、ひたすら謝った。
椅子の真ん中に座り、前の人に触れないくらい位置を移動した。
食料を買って帰ったけれど、移動距離を最小限にしたかったから、市場へ行かなかった。思うに、火曜日の午後、足の具合が何かおかしいと思ったのに、食べ物を買いに行って、市場まで歩いたことで一気に悪くしたのではないかと思う。
使わない、曲げないのが何しろ一番。
表紙を仕上げようかと思ったけれど、完成はしていないけれど、丹波山から見た富士山にしようかなと。
皇紀2685年 令和7年9月1日 月曜日 暑い
明日出発だから準備とお掃除必要なのに、午前中はうだうだして、何もできなかた。
あ、日本ペット協会に連絡しないと。
今日はなんとなく疲れて、食欲もない。午後4時になっているのに、朝ごはんも食べられない。
まあ、桃を一つ食べたから、いいかな。アサリのお味噌汁も食べた。
明日長距離移動するから、エネルギーを蓄えておかないと。
明日のバッグはいつものかな。安全を考えるとそれが一番運びやすい。かっこよさならボストンなんだけど。
皇紀2685年 令和7年9月2日 火曜日 暑い
ひたすらスパランド内藤へ向かって走ったけれど、前回と違う道。川沿いで、川風に飛ばされてしまいそうだった。
足で移動が一番辛いから、本当は、岩盤浴なんてしなければよかった。じっと漢方湯にでも浸かっていた方が効果的だったのではないかと思う。
動く距離が多いから、かなり辛かった。
味のマリネは美味しいからまた買おう。今回、失敗したのは、スプーンとお箸入れなかったこと。ナイフはちゃんとあった。
皇紀2685年 令和7年9月3日 水曜日 暑い
甲府からの道順をあらかじめ調べておいたから、検察庁の下側を通って、舞鶴かな、そこから平和通りを直角に通り越して、52へ入れた。かなり早い時間に到着したけれど、チェックイン前入浴コースを申し込んだことになっていたので、すぐにお風呂に入れた。部屋まで遠い。
内藤でワイン風呂入って良かった。気に入ったから会員登録してしまった。竜王はそういう楽しいものはない。コンセプトが違うから。
皇紀2685年 令和7年9月4日 木 雨
皇紀2685年 令和7年9月5日 金曜日 台風
皇紀2685年 令和7年9月6日 土曜日 暑い
昨日と違って良いお天気。いざ、出発。一路、武蔵村山市へ。
大菩薩峠の高架道路のところで風が吹かなくてよかった。
こんな長い距離を走ったのは、生まれてはじめて。荷物を宅配で送ったのでできた。
普段なら丹波山で3ヶ所、小菅村で1ヶ所で一泊したけれど、階段しかない古いタイプの宿には泊まれないから一気に戻るしかなかった。明日は教会の日だし。
らでぃっしゅぼーやが届いた!段ボールいっぱいの野菜なんて食べられるのだろうか。ピーマン、きれい。
皇紀2685年 令和7年9月7日 日曜日 暑い
午前中ゆっくりして、午後教会へ。竜王へ行く前より良くなっていると感じる。
でもまだ膝がグリッとなる時があるので、曲げないようにしている。
らでぃっしゅボーイという野菜がたくさん箱で届いた。
これは楽しみ。でも全部を一人で消費するのは大変だから、定期的でない方がいいかも。
皇紀2685年 令和7年9月8日 月曜日 午後大雨
すごい雨音、雷。白は、何事もないように窓辺にいたけれど、ハイエナは、雷の音で慌てて走り去った。
人生経験が足りないから、まだ怖いのだろう。
全然お腹が空かなくて、午前中にはアイスカフェオレ2杯とブルーベリーヨーグルトと、ポタージュスープと、りんご1個しか食べられなかった。
オムレツでも作ろうかしら。寝ている時間しか身体は回復しない。
東京ビックサイトのサンバレンタルのご注文いただき、ありがとうございました。
皇紀2685年 令和7年9月9日 火曜日
皇紀2685年 令和7年9月10日 水曜日
ありがとうございます。昨年の染谷さんが再びサンバ衣装をご注文下さった。黄色オレンジ5組。