令和3年10月1日 金曜  台風大雨

 

ものすごい台風。

家の前の砂利道が湖状態になっている。

芝生を下さったご近所様に感謝する。その上を歩けば、足が濡れない。

久米島から那覇へ飛ぶ便がキャンセルとの連絡を受けて、電話をしたら、なんと午後4時で事務所を閉める航空会社だった。早すぎ。

まあ、朝9時にフェリーに乗れば、正午には那覇に着くことがわかったので、それほど大きなダメージはない。

ふうばのところへ行く時には、鰻を持っていくと約束をした。

明日の朝は動物病院。


令和3年10月2日 土曜 晴れ

 

毛並みの中にノミの糞がたくさんあって、動物病院の台の上にポロポロと落ちた。ということは、うちの中にもたくさん落ちていたことになる。ああ。

もっと頻繁にブラッシングをしてあげていればよかった。

3時間半運転して、ふうばに会いに行く。「コロナの間は、来るな」と久美子に言われていたけれど、そんなこと言ったら、あと数年続くかもしれないコロナだから、もう誰にも会えなくなってしまうから、会いに行って正解。

ちゃんと元気にしていたけれど、フーコちゃんには会えなかった。

泊まっていらっしゃいと言われたけれど、暗くなる前に帰らないとと、後ろ髪引かれる思いで帰って来たら、町田の峠あたりでだんだん日が傾き、立川に着いた頃には、とっぷりと暮れていた。

テールランプ見ながら運転するのは目が疲れるから、やはり夜はダメだ。都心にいた時は、夜中だろうがなんだろうが、全然苦にならなかった。やはり、距離感の関係だと思う。いつもの肉屋さんに6時過ぎに行ったら、「今日は遅いですね」と言われた。

湖のような道は道がやっと吸い取ったけれど、そのうち芝生を敷いて、どうにかしようと思う。


令和3年10月3日  日曜日 

 

教会へ行く前にすでに200を超えていたから、ゆっくり出発。熱っぽくて、ぼうっとする。昼に一度帰って来て、食べてからまた出発。

戻ってからは、疲労感で、ずっと横になっていた。

泉先生から電話がかかってきて、外国人の入管法問題について教えていただいた。

私はかつて日本入管協会の研修を受けて、入管法を守ることがいかに大切か叩き込まれたので、乞食外国人の日本滞在は許せない。


令和3年10月4日 月曜日 快晴

 

青梅街道沿いに見つけた漢方薬屋さんに行くべきか。

何度もその前を通って、その度に、どうしようか迷って、今になってしまった。

本当なら、漢方さえも飲まずに、自然に治したい。

らっきょう、レモン、リンゴ酢、あらゆることをしている。

10/3に来ると通達してきた阿部氏に、10/4にするようにと日付変更を申し出たのは、東大和警察生活安全課の女性警官からの助言。

しかし、それに対して阿部氏からは何も返答がない。

昨日は来た気配がなく、本日もこれまでのところ、認められない。

今後突如襲撃してくる可能性もあるから、気が抜けない。

ブラシを買いに行きたいけれど、明日にしようかな。

本当は先週の土曜日に行こうとした美容院が、結局その日は、戻って来たのが夕方だったから、行かれなくて、まあ、今週の土曜日にでも行けばいいくらいに思っている。

うだっとしながら過ごす。

血圧が200超えていたのに、2週間前にはよくもリバーボードなんか行かれたものだと、今更ながら感心する。

症状が悪くなっている。

夕方、のっち動物病院へ行った。

ここは駐車場がないようなところだ。まあ、仕方ないと思う。モノレールの駅にも近いし。でも、クレジットカードが使える。


令和3年10月5日 火曜日 

 

お稽古へ行き、三輪治療院でマッサージ。

首もやっていただくようにお願いした。首がどうも凝って仕方ない。

帰りに杉並でアイスクリームを食べ、コジマで猫さんのご飯をいろいろ買って帰る。

 久美ちゃんから、手厳しいメールが来て、途端に血圧が246まで上がった。

血圧は、非常に精神的なものなのだと思う。

明日ここへ来るとのこと。

片付けないと。

 


令和3年10月6日 水曜日 晴れ

 

朝一番で美容院へ。ひどい頭になっていた。

先週の今日は、よくカヤックになど行けたものだ。

身体が熱っぽくて、1日中、横になっていないとダメな感じ。

久美ちゃんが来た。

誰が運転していたのかわ不明。中に入らずにすぐに戻って行った。

お届け物をありがとう。

小笠原のお塩をあげた。


令和3年10月7日 木曜日 暑い

 

朝7時に始まったお稽古の後、メゾンカイゼルに行って、カフェオレとおしゃれなパンのおやつ。

その後、三輪治療院。

血圧が200以上だったので、すぐに病院へ行くように諭される。

そのようなわけで、ヒロオカクリニックへ。ヒロオカ先生じゃないお医者さんに診ていただき、処方箋を出していただいた。

おや、宮廷マンションの1階にあった処方箋薬局がなくなって、花屋になっていた。

まあ、お薬は、武蔵村山だっていいわけだし。

仲野クリーニングに寄った。あそこは大きなビニール袋を下さるから嬉しい。

李さんのところへ行ったら、まだ全然できていなくて、黄色いジャケットの仮縫をするための縫製が済む間、30分くらい待たされてしまった。

急ぐお客を相手には絶対に商売ができない人だと思う。でも、人が良さそうで、日本に来る前は、一体どんな人生を送って来たのだろう。

夜、東京で震度5の地震が起きたそうだけど、私は気づかずに寝ていたようだ。

武蔵村山市は、周りが畑で、舗装されているところの方が少ないから、地面の土が衝撃を和らげるのだと思う。

大自然の勝利。これが、コンクリートとアスファルトの上に建っている高層ビルだと、揺れるのだろう。ここに引っ越して来て本当に良かったと思う。 

ダックス動物病院から虫下をもらって来る。

 昨日は録音したはずだったのに何故か録音されていなくて、その理由がよくわからなかったのだが、もしかしたら具体的なメールアドレスに送信して送信履歴がないとメッセージがなくなってしまうのだと気づいた。

この機能をうまく使って執筆に生かしたい。

とりあえず今日のところはここまでにしてテストとして送信。成功!


令和3年10月8日 金曜日

 

朝ご飯の後、人生はじめての血圧を下げる薬を飲む。

複雑な気持ち。これまでこれを飲むことだけは避けたかったから、反対して来たのに、もう血圧が高すぎて、どうしようもないところまで行ってしまったから仕方ない。

ある程度下がったら、すぐにでも辞める。

このバイクにはお世話になった。これに乗って走るのも今日が最後。

お稽古の後、三輪治療院へ。三輪先生のお勧めで昨日ちゃんと病院へ行ったことを喜んでいらした。

昨日に続いて血圧を測ったら、昨日よりほんの少し低くなっていた。

やはり薬の力。

ホンダドリームへ行って、バイク王の社員にバイクを¥15000で販売した。

新車はメーターがゼロから始まるから嬉しい。乗って、村山市役所でナンバープレートの返却と廃車証明書をもらって家に戻ったら、すでに32キロ。

 

これからはその日に何キロ乗ったか記録を取ろうかな。

昨日は録音したはずだったのに何故か録音されていなくてその理由がよくわからなかったのですがもしかしたら具体的なメールアドレスに送信して送信履歴がないとメッセージがなくなってしまうのだということに気づきましただからこの機能をうまく使って執筆に生かしたいと思いますとりあえず今日のところはここまでにしてテストとして送信します」喋り言葉だから、文章として見ると、ひどいけれど、とにかく、この機能が使えるようになったということはすごい進歩。もうこれからは、目が疲れるからなんて理由で執筆が遅くなることはない。


令和3年10月9日 土曜日  快晴のち夜大雨

 

犬おちゃんが今日は1日中ワァーワァーワァーワァーと声を上げて、ウロウロ。

同じところをぐるぐる回ったりしている。

1番びっくりしたのは、和室に歩いてきたこと。今までだったらダイニングのところから全く出なかったのに、昨日ぐらいからお玄関に行くようになって、今日はなんと和室まで来てしまった。

泣き方が断末魔の叫びのように聞こえているけれど、もしかして最後の主張しているのかもしれない。

泣き止むのは体を触ってあげている時だけで、1人でおねんねもできなくなってしまった。犬おちゃんは赤ちゃんの時、本当に可愛いお声で、澄んだ高い声だった。

私は下の道を歩いていても、市谷台町のマンションの2階の部屋の中で泣いている犬ちゃんの声がよく聞こえた。「マリカ先生がお出かけすると、イヌおちゃんが泣き出します」とあかりさんが言っていた。

さかこういう声になるとは思わなかった。

やっぱり猫でも赤ちゃんの時とおじいさんになってからでは、こんなに声が違うのだということがよくわかる。

昨日ぐらいからハイエナが私が寝ている胸の上に登ってきて、ずっとそこから動かないでぐるぐる言いながら寝るものだから、もう重くて邪魔くさくてほんとに困るけれど、でもお母さんに甘えたいんだなぁ、かわいそうに、この子^_^。

誰からも仲良くしてもらっていない。

私は昨日薬を飲み始めて、今日で2日目だけれど200より下になることが何度もあった。

薬で無理に数値を下げているのだろう、頭が重くてそれで脳みその中で血管が切れていたらやだなあと思うとなんか知的行動が何もできなくなってしまって、それで寝たきりの生活を送る。

今日は結局食物を買いに行った時しか外に出なかった。まぁこれで良いのだと思う。

食べ物なんてしょっちゅう買いに行かなくてもいい。

それに冷蔵庫の中何があるとかちゃんとわかっている状態であることが大切。

今日は、結局鶏鶏肉の料理作らなかったなぁ。起きていられなかったから。明日教会から帰ってきたら、鶏の胸肉の料理を作ろう。 


令和3年10月10日 日曜日

 

イヌおちゃんの叫び声で、切れ切れにしか寝ていないから、朝辛い。

教会へ行ったけれど、お昼に戻ってきて、みんなの具合を見てからまた出かける。

フィリピンの少女たちの言うとおり。

誰が見るのですか。

これ、すごい発言。

難しいことやりたい。

これもすごく嬉しかった。

イヌおちゃんは、昨日24時間叫び続けたけれど、それは、本物の断末魔の叫びだったのだと思う。

イヌおちゃんがそんな鳴き方をしたのを見たことがなかった。

なぜか、階段を2段上がって、タオルのところに顔を埋めていた。

そのようなところを登る力があったとは驚き。寒かったのだろう、ダイニングが。

私がつけっぱなしにしている扇風機も、イヌおちゃんには辛かったのかもしれない。

それで、風が来ない唯一の場所である階段のところで寝ていたのだと思う。

ごめんなさい、イヌおちゃん。かわいそう、イヌおちゃん。


令和3年10月11日 月曜日

 

朝、イヌおちゃんが、和室の入り口にいた。

中には入って来なかった。

イヌおちゃん、今日、天国に旅立つのだと思う。

感じでわかる。

一緒にいた21年間。

さまざまな場面が蘇る。

こんなにいい子いなかった。

人間のお母さんのお言いつけをちゃんと守り、私を支えてくれるいい猫ちゃんだった。

私を困らせることなんか、一度もなかった。

心配させたことはあるけれど。

車のエンジンの中に入ってしまった時。

その時から、決してお外へ出なかったから、もう安全。

この子には本当に助けられた。

この子がいなかったら、私はとても子育てなんかできなかった。イヌおちゃんに感謝している。肩身の狭い思いをさせてごめんなさい。市谷台町、四谷坂町、市ヶ谷砂土原町、戸塚と各地を点々としたけれど、いつもそばにいて、私を励ましてくれた。ありがとう。

向日葵クリニックに電話をして明日4:30の予約を取る。

明日はお稽古の後、三輪治療院、李さんのところ、そして向日葵と忙しい。

もう当分、カタクリの湯に行くのはやめようと思う。レベルが低すぎる。


令和3年10月12日 火曜日  曇りのち小雨  これは涙の雨

 

朝はまだ息をしていた。

私にお別れを言ってくれたのがわかる。

 

今日のお稽古が今週唯一の8時で、後の2回は7時とのこと。お稽古の後、三輪先生。李さんのことろへ行こうとしたら、ああ、また嫌な予感のメッセージ。予感的中。まだ田端にいるとのこと。

思うに、自宅と職場が離れていると、ものすごく大変で、それは私は自分が経験したからよくわかる。

雪谷にいた時など、新宿へ来るのが苦痛だったもの。

だから、職場に住むようにしないと、仕事がはかどらない。ただしこの人の場合は、物が多いのと、置く場所がないから難しいかも。二重の家賃は辛いだろう。

 

戻ってきたら、すでに天国へ行っていた。

21年一緒にいたから、いて当たり前の存在だった。

ものすごく運動神経が良く、頭の回転が速く、まさに東京都知事になれた猫だと確信する。というか、なったのだ。

私のことを慕ってくれた。私はイヌおちゃんの気持ちにちゃんと報いていただろうか。

イヌおちゃんが私にやってくれたことの方が数段多い。

今日は机の横に置いて、姿を眺めながら仕事をする。

明日は、本当のお別れになる。荼毘にして骨粉になる。桜の前に撒くから、桜の花になって戻ってきてほしい。

イヌおちゃん、ありがとう。

私のところへ来てくれて、ありがとう。お家を何度も変わって、目まぐるしくてごめんなさい。

天国のお家はもうお引っ越しはないから。

 


令和3年10月13日 水曜日

 

お線香や、お水の入った入れ物やお花などを撤去した後の動物用霊柩車というか、焼き場車。

これまで何匹の猫をこのように見送っただろうか。

にゃんぐさん、アナスタシアちゃん、マルレーネちゃん、レニちゃん、そして今度はイヌおちゃん。

それでも、ちゃんとお葬式ができるまで生きてくれたのは嬉しい。

それを迎える前に、逃亡してしまった男の子たちがいたから。

マコトちゃん、ジークフリート君、カールちゃん。

みんながおじいさんになるまで、私は面倒見るつもりだったのに。

イヌおちゃんと早くお別れをするのが嫌だったから、1日中ダイニングに置いて、イヌおちゃんを見ながらパソコンに向かっていた。

イヌおちゃんは、私の事務椅子が好きで、いつもこの椅子の背もたれのところに寝ていたから、私は浅く腰掛けないといけなかった。

私にぴったりくっついているのが好きな子だった。


令和3年10月14日 木曜日

 

今週、来週、お稽古ない。

午後3時にお葬式の車が来るから、それまでに花屋さんへ行って、洗面所で水につけながら切って、用意をしておく。

短く切っておかないと、イヌおちゃんの身体に乗せられない。

白のムクゲの季節なら、それを使えばいいのだろう。

喪服に着替えて、真珠のイヤリングをして、軽くメイクもして、お葬式の準備を整える。

思うに、猫の寿命というのは本来15歳が妥当なのだろう。にゃングさんにしても、アナスタシアさんにしても、15歳でもう相当、老人じみていた。

イヌおちゃんは、お顔がベビーフェイスで、やることがひょうひょうとしていたから、若い感じがしたけれど、それでも最後の5年は弊害があったと思う。特に最後のこの3ヶ月は大変だった。

本人も大変だっただろうと思う。

私の分身だった。向こうも私のことを分身だと思っていたはず。

なんでもきちんとやる、人のためになることをすすんでやる、この二つを常にやってくれた。私は人間だから、時にはみんなのために闘わないといけない場面にも出くわしたから、当然強く生きないといけなかったけれど、イヌおちゃんは、優しさ、凛々しさに溢れ、実にちゃんとした高い人格を持つ猫だった。

 なんだか、気が抜けてしまった。何もしたくない。


令和3年10月15日 金曜日

 

徹底的に掃除をした。

死んでも床の上に物を置かない。

武蔵村山のバレエ教室を覗いたら、なんとみんなマスクをしたまま踊っていた。びっくり。明日から行こうと思っていたのに。

お米を買って戻って来てから、松山バレエ団の東大和市の支部に問い合わせたら、そこもなんと、マスクをしてレッスンをしているとのこと。

念の為、祐子さんに問い合わせたら、やはりマスクをしてレッスンしているとのこと。

私は絶対にできない。息ができない。

マスク大嫌い。

そんなものつけて踊っている人の気がしれない。

小笠原の写真業務がはかどった。あまりに眠いので、今日は早く休もう。昨日は夜中の1時に寝たから。

あ、でも昨日は3時間昼寝をしたのだった。お葬式の後、どっと疲労に襲われて思わず寝てしまったけれど、今日は、9時に休もう。胚芽米買って来たから、研いでから寝ないと。明日は朝からうなぎを食べよう。


令和3年10月16日 土曜日

 

教会ではお昼は食べないけれど、皆様に召し上がっていただくために定番の焼きコロッケを持って行くのは、たしなみ。

誰も「ご馳走様」とか、「ありがとうございます」とか、「美味しかった」とか「お手間取らせました」などとは言わないけれど、毎回やろう。

令和3年10月17日 日曜日

 

雨の中、教会へ行くのは大変。

でも芝生をいただいたから、それを湖のようになった道に敷いて、そこを通るようにして、なんとか出発できた。

昼ごはんに一度帰ってくるので、それを2度しないといけないのは流石に大変。

でも、芝生をいただいて本当に感謝している。

これがなかったら、足がまず濡れる。

なぜ私は自分が必要としているものが、身近にあり、それが差し出されるのだろう。

神様のお陰としか言いようがない。

 

 


令和3年10月18日 月曜日

 

Kokを出金するには、Kucoinをかませないといけないということが判明した。

やり方を教わって一度小額出してみよう。

小額出せれば、もっと大きな金額も出せるだろう。

小さなミシンを買った。

まるでおもちゃだけど、何かの役には立つだろう。

以前持っていたような本格的なのはいらない。

どうせ衣装を縫うことはないから、収納に差し障りのないサイズの方が助かる。

試しに縫ってみると、ものすごい粗雑な進み方をして、なんともチャイナの奴隷労働が偲ばれる。ああ。

眞子さまは、「お父様、ウミヘビがいるわ」と海辺を走って、おかわいらしかったのに、なんてことになってしまったのだろう。


令和3年10月19日 火曜日

 

Kokを出金するには、Kucoinをかませないといけないということが判明した。

やり方を教わって一度小額出してみよう。

小額出せれば、もっと大きな金額も出せるだろう。

小さなミシンを買った。

まるでおもちゃだけど、何かの役には立つだろう。

以前持っていたような本格的なのはいらない。

どうせ衣装を縫うことはないから、収納に差し障りのないサイズの方が助かる。

試しに縫ってみると、ものすごい粗雑な進み方をして、なんともチャイナの奴隷労働が偲ばれる。ああ。

眞子さまは、「お父様、ウミヘビがいるわ」と海辺を走って、おかわいらしかったのに、なんてことになってしまったのだろう。


令和3年10月20日 水曜日

 

ちょっと日記を書かないなと思って、はっと気づいた。

土曜日から書いていない。

お稽古に新宿まで行っていない日というのは、家で仕事をしているから、毎日の違いがあまりなくて、後から描こうとしても書けなくなってしまう。
ところが、バイク走行記録を取り始めたので、これにとても助けられる。

お茶を買おうと思って、東大和の杉本園を探していたのに、なぜか、幸右衛門というすごいお茶屋さんに辿り着いてしまった不思議。

まるでお城のような構え。値段は高いけれど、本物のブランド品。神様がまたしても、私に素晴らしいプレゼントを下さったのだと理解した。感謝。

お肉買ってきたのに、結局作る気力と食欲がなくて、両方とも明日に回した。


令和3年10月21日 木曜日

 


令和3年10月22日 金曜日

 



令和3年10月23日 土曜日

 

出発の日。朝、三輪治療院へ寄ってから、羽田へ。

このくらい余裕を持ってできる昼便はいい。初めての場所へ行く時は、なるべくはやくいって、現地での時間を多く取りたいけれど、那覇へ行く時は、1日目にやることは、チェックインしかないから、昼便でたくさん。というか、それでも早すぎるくらいだから、これからは、夕方便にしてもいいかも。

いつものランタナホテルは、気持ちがいい。今回の旅で、その後の2つのホテルが、まさか、連泊の間、コロナを理由に一度も部屋の掃除をしてくれないということは、その時点ではまだ知らなかったので、ランタナでもこの当たり前に見えるサービスを当然のことのように受け取っていた。ランタナに感謝。


令和3年10月24日 日曜日

 

朝教会へ行って県庁前からタクシーで5分もかからなかった。皆さんがとても歓迎してくださって、礼拝の中で私を前に来させてお話しさせてくださったなんて信じられない。

踊ったら、皆さん喜んでくださって嬉しい。立川だったら、踊っても、誰も何も言わなくて、スルーされるだけだから。「今日は丸子さんがいらしてくださったから歓迎会です。愛愛餐会をしましょう」とおいしいものをいろいろご用意してくださった。

感動したのは沖縄色のジューシーと言う炊き込みご飯のおにぎり。復活祭の日に、たった1回行っただけなのに、それに対してこんなに歓迎してくださってほんとに嬉しい。

やはり教会に来た人の名前を全員が覚えて、その人に対しdて教会員全員で寄せ書きをして送ってくださったり、その後も教会員の方が再度お葉書を出してくださったり、そうやって人とつながる文化がある教会は、心地よい。
新しい人と口を聞いてはいけませんと禁止している教会とは全然雰囲気が違うのだと思った。
謝花牧師先生の奥様が対馬丸資料館に連れてって下さった。対馬丸のことは、今年の1月に辺野古に座り込みに行った時に、参加者の方から聞いていた。対馬丸資料館に芝居のチラシが置いてあり、それが今日の3時!なんてラッキーなのだろう!
神様がそのようにアレンジして下さった。謝花夫人と私に葉書を書いて下さった西村さんとご一緒に、急いでその劇場へ。
そーゆーお芝居を50人ぐらいで上演していてそれを毎年上映していると言うことが凄いと思いました語り継いでいくと言うその姿勢に感動しましたただし表現的には溢れる1番大変な場面悲しい場面そこに時間を割いていないのでもし私が演出をするとしたらそこをメインにするだろうなとと思いましたそれから位置の移動というのが少なくて同じところに立ってセリフを順番に言っているのがちょっともったいないかなと思いました人数の配分もおかしいかなと思います2役にして子供たちが船底で船底で過ごしたその時間それが素行そこが結局メインなんだと思うんですよねだからまぁ西村さんなんかもおっしゃっていたけれどきれいに処理しすぎたって言う事はありますねあの背の高いきれいな心の足の長い女の子あのーっち芸能界に行っても充分通用する逸材だと思いました非常に商品価値のある子だと思います今後が楽しみですねそして何よりも今回のハイライトは空手のお兄さんでしょうねあのリーダーさん偉いと思ったのはその自分がリーダーなのに自分よりももっとインパクトがあって持って生まれた才能とかのある沖縄かれて君がちゃんとメインに使ったって言う事はそれはすごかったそれは偉かったと思います沖縄空手くんのあの女力何しろ迫力があって正義感とか強さとかそして優しさなんかも備えていてこれは東京でやったら多くの女性ファンが少ない分りました一般公募の人たちも入れてそれで援護会で作ったとのことでその沖縄チームと言う人たちが毎回主演してるチームだそうですでも誤解やったらもっとできただろうなぁと言う気もしますだってインドのチャンドラ流流でやった時はあれは多分2回位の練習で本番に持っていったわけだからだからあぁほんまなぁ踊りと芝居が違うんでしょうけれどでもあぁまぁすスポンサーがあるわけではなく自分たちでお金を出してそれでやっているっていうことがそれがすごいと思いました着いた翌日なのにほんとに感動しましたやはりこんなことを神様しかできないだろうなぁと思います復活祭のあの日からずっとつながっていることなんだと思いました晩御飯はまた例の寿司屋に行ってとてもおいしかった毎回同じところに行ってしまうけれどでも他のお店で変なもの食べるよりは素行のほうがずっと安心できるのでそしてびっくりしたの私家の2階に上がっていくとものすごくきれいなお手洗いがあってそれは全く予期していなかったことなのでびっくりでした沖縄の飲食店のお手洗いであれだけ広くてきれいなところ初めて見ました場所が場所が場所なだけになんかシュールな感じでしたさて翌日

令和3年10月25日 月曜日

 

朝の3時に起きてお風呂に入ってメイクしてさぁーと思ったらなんか5時からちょっとうとうとしてしまって、はっと気がついたら5時50分で、慌てて空港へ行った。
でも結局はまぁ早すぎる位だった。
朝一番の飛行機で久米島に到着ホテルはその部屋に入るまではあーいいホテルにして良かったなと思いました久米島カヤックサービス
迎えにいらしていただきそして浜に行きました半年ぶりに海で漕ぐカヤックはなんかスリル満点で楽しかったですちゃんとスラローム体だったので嬉しくて浜に静かな浜に到着してそれが結局痛いと言う所だったのか2人人が住んでいるご夫婦が住んでいると言うもともとは何十人もの人が住んでいた島だったそうだけれどみんな引っ越してしまってそして言えばそのままあるのでその一見を借りて住んでいて今はもう赤ちゃんがいたり3人ぐらいお子さんがいらっしゃるそうだけれどロビンソン・クルーソーみたいな生活と言うわけではなくって水道も電気も通ってしまったというのがそれがちょっと笑える感じなのですけれどまぁそんな話を聞きながら何しろ美しい9名ブルーの海を見ないならお茶の時間をしてそしてその日はもう後短めで戻ってきて嬉しいのが部屋にチェックインして部屋の扉がすごく汚かったので汚かったのですが中に入ってもっとびっくり家外はもっと汚くてあんなの白スポンジでキュキュット磨けばきれいになるのに
ホテルでもらった紙をよく見るとコロナなので部屋の中の掃除はしませんと書いてあるのえーっと目を疑いました部屋の掃除をしないホテルなんてあるんだこの1階のロビーだけ見ると一見五つ星のリゾートホテルみたいな雰囲気はありただしこれは結局昭和のリゾートホテルなのだと思った大風呂があるのがそれは嬉しいので、お風呂に1番宣したら
なんだかお風呂が汚くて床が砂だらけだしそういうのクイックルだと直こっちからあっちに持っていっているだけなので掃除機じゃないと進めないのにだからなんかお風呂の床が非常に気になったのとあと何年も取り替えていないそこに敷きっぱなしの緑色のパンチカーペットがものすごい砂だらけで気持ち悪くてあればどうにかならないのかなと思いましたやはり組織を置いてないと言うことが問題だと思い期待していたお湯は塩油ではなくてあれやれやれと言う感じでしただからあの広さの湯船があるのだったら半分に区切って半分は塩行にすればいいのになぁと思いました外にご飯に行ったのですかあーそれよりそっかお風呂より前に原付バイクで一蹴したんだしまおうねそれで上付の家に行ったら月曜だかしまって月曜だから閉まってるのか何かわからないまぁ外の写真だけ撮ってきてそしてそこら辺の場所が結局非常に歴史的な場所なのだというのがわかった父島の至るところにあの歴史的な場所があってこれはすごいと思ったやはり島の面積が広いのと琉球王朝の行政の王族が住んでいくつもお城を作っていたというのがあって久米島はこれまで見た八重山や慶良間と違ってもっと文化が発展していたわけだし非常にお金が落ちた場所だなと言うのをすごく感じたお墓にしても伝統的なユダヤ式というのがもうほとんど感じられない位で何しろ新しくきれいにお金をかけて作り直してしまったと言う感じでお墓の前にアルミパイプのいや大じゃなくてなんていうんだろあのアルミで組んだものがあってこれは一体何なんだろうと思ったともかくまぁ写真をいくつか撮ってそして戻ってまぁ2時間だけどひどいバイクだった左のブレーキは効ませんけれどでもまぁ右は聞きますからと言われてそれでヘルメットもボロボロで中のスポンジ高ウレタン部分が顔に垂れ下がってくるようなそういうヘルメットだったので別のに変えてくださいと言ったらこれが1番いいやつですと言われててご飯を食べに行ったら中華でまぁちょっといささかまずかったけれどまぁ仕方がない塩気が強すぎるな自分で作った料理が食べたい泥のようになって寝てしまった長い1日だった翌日は朝8時半に朝1番でお風呂に行ってお風呂につかりながら朝焼けを楽しむことができた6時に
日が昇るってやはり遅いと思うほんとだったら時間も早1時間位時差があってもいい位の感じだなぁと思ったそして朝ご飯はそれはランタナよりかなり良かったまぁ当たり前なんだろうけれどなってるあんたどっちビュッフェはひどかったけれどこっちがそれはよかっただから^_^このホテルは掃除が行き届かなくて汚いだけで朝ご飯はまともなのだと思う夜はここで食べなかったからわからないでもここの晩御飯の料金は3500円位で高いからだから外に行ったほうがいいと思う8時半に迎えに来ていただいてそれで今日は果ての島に漕ぎ出したかなり波が高くて波に対して90度を保っていないと倒れたら大変だから同じ方向ばっかり何度も何度もこがないとダメでこんな事側ではあり得なくてなくそれってときにはもう同じ方向声でも戻せなくて無理にもう9月に反対側で調整したりということもその反対側でバックを超えたりと言うことも?島は前島と中と最後の果ての島で3つでセットみたいだけれど前の島はもうほとんど波で削られていてなくなっていて真ん中の島だけ真ん中の島に到着ものすごく長くなっていてここら辺はほんとに浅瀬だそこに座って何か食べていろいろお話を伺って農業を今メインでなさっているからカヤックが早くはお客さんがたくさん来てしまうとかえって困るからホームページを更新しないんだとおっしゃっていたのが笑えるだけど偉いなと思ったのは80歳のおじさんが毎年カヤックをこぎに来ていてしかも5日間続けて毎日黒ような人がいてそして片目を失明してしまっていて江ノ島から電車と飛行機を乗り継いで久米島に来るそのおじさんを毎日カヤックに乗せてあげてたと言う事を聞いてそのこれを受け入れていると言う事をが素晴らしいと思った遊びをみたいなあゆプラットフォームで持ちそのおじさんが申し込んだらはい年齢オーバーですとかでもう受け入れてもらえないと思う私だって遊ビューでカヤック断られたことが以前あったわけで65歳以上はダメですみたいに断られて返金されたわけだからだから他の大槻さんでしたっけ偉いと思いますだから私がここに来ている三日間は農業もできなくてなんか申し訳ないけれどバジルを収穫しているとの事そういえばバジル四谷境町次第に上田なーのーあーそっかなんか怒鳴っちゃって家からいただいてそしてそれがすごく広がってしまってそればっかりになったのも覚えている本こんなにたくさん恋で疲れたぁーんだけど
だから私がここに来ている三日間は農業もできなくてなんか申し訳ないけれどバジルを収穫しているとの事そういえばバジル四谷境町次第に上田なーのーあーそっかなんか怒鳴っちゃって家からいただいてそしてそれがすごく広がってしまってそればっかりになったのも覚えている本こんなにたくさん恋で疲れたぁーんだけどその後すぐにコムを借りて1時間そこら辺を走った被って乗ってみたかったけれど実際にバックを入れてたまげたあんなトランク辺木って目的地に着いたら中が空っぽなんて言うことあるかもねー位の感じの鍵のかかり方でしかもそれが左右対象になっていなくて手でがーっとやったら空いてしまうような変な鍵でちょっとこれはあぁねぇそれで27キロ以上出したら分解してしまいそうなチャッチー作りで1番困るのはバックをするときにものすごい大きな音を出すのでまさにメイドインチャイナ丸出しの車でですからこんな1人乗りの物にこだわってこういうの買いたいとか思わないでよかったこんなものを買ってしまっていたらもう一日目から後悔しただろうこうやって借りて1時間乗るだけでもう充分港のところから見たら港を隔てた反対側のところで馬に乗った人たちあーそっかまぁっていうのはそこでやるんだなぁと思ったけれど結局前の場所は見つけられなかったそして戻ってきて今度はすぐにバイクを借りてそして久米島博物館まで行ったらラッキーやっていたそれでなんかいろいろ見てそして動画も見られた博物館の建物を出てすぐ右のところに上付の豚便所というのがあって出たと言う感じだった
^_^以前どこかの博物館で見た豚便所はあれはチャイナのものだからだからばあちゃんになってこんなことしてるんだと思ったら上付でもそれをやっていたと言うのを知ってそっかここってもうほんとにその社会だったからユダヤと違いだと日本が混じってる場所なんだと思ったその歌便所の凄さは932-42羽1番右の端戸が壊れていたからだから4人が間仕切り出しでトイレをやってと言う感じでちょっと後は言いたくない位でそして上のほうに登っていくとお城の後があるようなのでそれ見ようと思ったら大きい字で赤い大きい字で羽生に注意と書いてあったので家これはまずい子子子子家子にサンダル着かけてるのでこのまま登ってくとちょっと羽生が出そうだから上まで行かずに戻ってきてしまったそして小沢高ギザ高と言う死んだような街街と言うのかな住宅地びっくりしたものすごくきちんと積み上げられた石それもちゃんと切った直角の石の辺が重々しい住宅地なのだけれど死んだような感じの場所だった小さい子供が1人歩いている姿を見ただけで後は誰もいなかった大人の姿を1人も見なかったお店もない感じであったけどなくなってしまったお店はあったけれどだから凄いところだなぁと思ったガソリンスタンドのお兄さんが言うには久米島は人が減っているとの事沖縄全体では人口が増えているのに毎週末来る人がいるからだけれど久米島は減っているそうだそうだんだろうなぁやっぱりそして戻ってお風呂に入りご飯を食べに行って久米島さんの車海老の焼いたのをとそれから島らっきょうの餃子そして
タコライスを食べた少し休んだらもう8時からのエステの予約の時間になったのでそしてこのいささか清掃の行き届かない昔風のこのホテルなのにそのエステのお部屋だけはものすごくきれいだった趣味が良くて流れてる曲も良くてですからまぁこれ1時間1.1 10,001選円は高いけれどまぁこれも旅の醍醐味でいいと海辺なのにも関わらず塩の
プログラムが全くないから4 OSでやったらどうですかと言うのを提案したやっぱり塩のお風呂ないとね寂しいですよねまぁでもしようねいつでもすぐにでもできるんじゃないかなぁと思うものすごく充実した1日だった死んだようにまた寝てし

令和3年7月26日 火曜日

 

朝の3時に起きてお風呂に入ってメイクしてさぁーと思ったらなんか5時からちょっとうとうとしてしまって上と気がついたら5時50分で慌てて空港へ行きでも結局はまぁ早すぎる位だったのですがそして朝一番の飛行機で久米島に到着ホテルはその部屋に入るまではあーいいホテルにして良かったなと思いました久米島カヤックサービス
迎えにいらしていただきそして浜に行きました半年ぶりに海で漕ぐカヤックはなんかスリル満点で楽しかったですちゃんとスラローム体だったので嬉しくて浜に静かな浜に到着してそれが結局痛いと言う所だったのか2人人が住んでいるご夫婦が住んでいると言うもともとは何十人もの人が住んでいた島だったそうだけれどみんな引っ越してしまってそして言えばそのままあるのでその一見を借りて住んでいて今はもう赤ちゃんがいたり3人ぐらいお子さんがいらっしゃるそうだけれどロビンソン・クルーソーみたいな生活と言うわけではなくって水道も電気も通ってしまったというのがそれがちょっと笑える感じなのですけれどまぁそんな話を聞きながら何しろ美しい9名ブルーの海を見ないならお茶の時間をしてそしてその日はもう後短めで戻ってきて嬉しいのが部屋にチェックインして部屋の扉がすごく汚かったので汚かったのですが中に入ってもっとびっくり家外はもっと汚くてあんなの白スポンジでキュキュット磨けばきれいになるのに
ホテルでもらった紙をよく見るとコロナなので部屋の中の掃除はしませんと書いてあるのえーっと目を疑いました部屋の掃除をしないホテルなんてあるんだこの1階のロビーだけ見ると一見五つ星のリゾートホテルみたいな雰囲気はありただしこれは結局昭和のリゾートホテルなのだと思った大風呂があるのがそれは嬉しいので、お風呂に1番宣したら
なんだかお風呂が汚くて床が砂だらけだしそういうのクイックルだと直こっちからあっちに持っていっているだけなので掃除機じゃないと進めないのにだからなんかお風呂の床が非常に気になったのとあと何年も取り替えていないそこに敷きっぱなしの緑色のパンチカーペットがものすごい砂だらけで気持ち悪くてあればどうにかならないのかなと思いましたやはり組織を置いてないと言うことが問題だと思い期待していたお湯は塩油ではなくてあれやれやれと言う感じでしただからあの広さの湯船があるのだったら半分に区切って半分は塩行にすればいいのになぁと思いました外にご飯に行ったのですかあーそれよりそっかお風呂より前に原付バイクで一蹴したんだしまおうねそれで上付の家に行ったら月曜だかしまって月曜だから閉まってるのか何かわからないまぁ外の写真だけ撮ってきてそしてそこら辺の場所が結局非常に歴史的な場所なのだというのがわかった父島の至るところにあの歴史的な場所があってこれはすごいと思ったやはり島の面積が広いのと琉球王朝の行政の王族が住んでいくつもお城を作っていたというのがあって久米島はこれまで見た八重山や慶良間と違ってもっと文化が発展していたわけだし非常にお金が落ちた場所だなと言うのをすごく感じたお墓にしても伝統的なユダヤ式というのがもうほとんど感じられない位で何しろ新しくきれいにお金をかけて作り直してしまったと言う感じでお墓の前にアルミパイプのいや大じゃなくてなんていうんだろあのアルミで組んだものがあってこれは一体何なんだろうと思ったともかくまぁ写真をいくつか撮ってそして戻ってまぁ2時間だけどひどいバイクだった左のブレーキは効ませんけれどでもまぁ右は聞きますからと言われてそれでヘルメットもボロボロで中のスポンジ高ウレタン部分が顔に垂れ下がってくるようなそういうヘルメットだったので別のに変えてくださいと言ったらこれが1番いいやつですと言われててご飯を食べに行ったら中華でまぁちょっといささかまずかったけれどまぁ仕方がない塩気が強すぎるな自分で作った料理が食べたい泥のようになって寝てしまった長い1日だった翌日は朝8時半に朝1番でお風呂に行ってお風呂につかりながら朝焼けを楽しむことができた6時に
日が昇るってやはり遅いと思うほんとだったら時間も早1時間位時差があってもいい位の感じだなぁと思ったそして朝ご飯はそれはランタナよりかなり良かったまぁ当たり前なんだろうけれどなってるあんたどっちビュッフェはひどかったけれどこっちがそれはよかっただから^_^このホテルは掃除が行き届かなくて汚いだけで朝ご飯はまともなのだと思う夜はここで食べなかったからわからないでもここの晩御飯の料金は3500円位で高いからだから外に行ったほうがいいと思う8時半に迎えに来ていただいてそれで今日は果ての島に漕ぎ出したかなり波が高くて波に対して90度を保っていないと倒れたら大変だから同じ方向ばっかり何度も何度もこがないとダメでこんな事側ではあり得なくてなくそれってときにはもう同じ方向声でも戻せなくて無理にもう9月に反対側で調整したりということもその反対側でバックを超えたりと言うことも?島は前島と中と最後の果ての島で3つでセットみたいだけれど前の島はもうほとんど波で削られていてなくなっていて真ん中の島だけ真ん中の島に到着ものすごく長くなっていてここら辺はほんとに浅瀬だそこに座って何か食べていろいろお話を伺って農業を今メインでなさっているからカヤックが早くはお客さんがたくさん来てしまうとかえって困るからホームページを更新しないんだとおっしゃっていたのが笑えるだけど偉いなと思ったのは80歳のおじさんが毎年カヤックをこぎに来ていてしかも5日間続けて毎日黒ような人がいてそして片目を失明してしまっていて江ノ島から電車と飛行機を乗り継いで久米島に来るそのおじさんを毎日カヤックに乗せてあげてたと言う事を聞いてそのこれを受け入れていると言う事をが素晴らしいと思った遊びをみたいなあゆプラットフォームで持ちそのおじさんが申し込んだらはい年齢オーバーですとかでもう受け入れてもらえないと思う私だって遊ビューでカヤック断られたことが以前あったわけで65歳以上はダメですみたいに断られて返金されたわけだからだから他の大槻さんでしたっけ偉いと思いますだから私がここに来ている三日間は農業もできなくてなんか申し訳ないけれどバジルを収穫しているとの事そういえばバジル四谷境町次第に上田なーのーあーそっかなんか怒鳴っちゃって家からいただいてそしてそれがすごく広がってしまってそればっかりになったのも覚えている本こんなにたくさん恋で疲れたぁーんだけど
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^_^以前どこかの博物館で見た豚便所はあれはチャイナのものだからだからばあちゃんになってこんなことしてるんだと思ったら上付でもそれをやっていたと言うのを知ってそっかここってもうほんとにその社会だったからユダヤと違いだと日本が混じってる場所なんだと思ったその歌便所の凄さは932-42羽1番右の端戸が壊れていたからだから4人が間仕切り出しでトイレをやってと言う感じでちょっと後は言いたくない位でそして上のほうに登っていくとお城の後があるようなのでそれ見ようと思ったら大きい字で赤い大きい字で羽生に注意と書いてあったので家これはまずい子子子子家子にサンダル着かけてるのでこのまま登ってくとちょっと羽生が出そうだから上まで行かずに戻ってきてしまったそして小沢高ギザ高と言う死んだような街街と言うのかな住宅地びっくりしたものすごくきちんと積み上げられた石それもちゃんと切った直角の石の辺が重々しい住宅地なのだけれど死んだような感じの場所だった小さい子供が1人歩いている姿を見ただけで後は誰もいなかった大人の姿を1人も見なかったお店もない感じであったけどなくなってしまったお店はあったけれどだから凄いところだなぁと思ったガソリンスタンドのお兄さんが言うには久米島は人が減っているとの事沖縄全体では人口が増えているのに毎週末来る人がいるからだけれど久米島は減っているそうだそうだんだろうなぁやっぱりそして戻ってお風呂に入りご飯を食べに行って久米島さんの車海老の焼いたのをとそれから島らっきょうの餃子そして
タコライスを食べた少し休んだらもう8時からのエステの予約の時間になったのでそしてこのいささか清掃の行き届かない昔風のこのホテルなのにそのエステのお部屋だけはものすごくきれいだった趣味が良くて流れてる曲も良くてですからまぁこれ1時間1.1 10,001選円は高いけれどまぁこれも旅の醍醐味でいいと海辺なのにも関わらず塩の
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令和3年10月27日 月曜日

 

 

いつものように朝8時半に家薬屋さんに迎えに来ていただいたそして今日はサイプレスホテルの浜から出発すごく浅瀬であそこが今にぶつかってしまいそうなところをうまく塗ってそれで少しでも深いところに行こうとするけれどそれでも鑑賞の内側リーフの内側そして外から見ると一見何でもない朝子なのに潜ってみるとたくさんいた青いイソギンチャク黄緑色家大家オレンジ黄色のきれいな熱帯魚たちがたくさん泳いでいるそして1番びっくりしたのは亀が私のところからわずか1メートルのところにいたこと言って亀がすーっと泳いでいた信じられない朝買ったしびれつけないで手で描いて泳いだすごく綺麗へーそうなんだこんな浅いところでしかも白い傘小屋色とりどりの色のいろんなのがいなくてもそれでもちゃんと海の生態系が出来上がっているのだなぁと言うのを知ってちょっとびっくりした古い家古い噴火でできたところでそこになんか死んでしまったような山子がいっぱいあるのに
でもちゃんと豊かな生物を育む世界としての世界な機能していると言う事にびっくりしたその後西之保の母に母にじゃなくて下のほうに行った上陸してでも砂浜ではなくって尻みたいになっているからそこに上陸してそれから機会な良い子にはこれは長い間かかって下の方だけ言ってくれた火山の
火山の噴火だと思うけれどこんな形で残っているそして正確に90度の角度で切られてる部分がたくさんあるけれどそれは建築に使われるために切り取られて持っていったので何かその土地を12,000,000で島尾12,000,000で売ると言う人がいてそれで東京の業者が買おうとしたけれどでも結局は何か買わなかったみたいで島の売買は変な人に買われるとそこに自分の国から難民をたくさん送り込んだりするだから4回絶対に売らないほうがいいと思う日本人が買ったと思っても実は外国人が買ってしまったりとか言う可能性もあるし行政が電気屋水とかをひいてしまったら底子家だからそこにどんどん難民船で買って20理解してと言うことになったらまずいと思うだから沖縄の島は気をつけないといけないその後馬に行った上上はこれはまたすごくて沖縄の在来種だとのこと久米馬と言うのは明治政府が軍馬対象だ大正時代に政府が軍馬を強くするために外国の馬と掛け合わせをやったことによってほとんどの再来襲の日本の馬が消滅してしまったようだけれどでも家山のようなホントの田舎では在来種が生きていたようでそれがいやいやあのなんだっけある与那国馬そして与那国馬と久米駅と言うのは親戚みたいなものでだから今日乗ったのは与那国馬それもどんどん違う国なってしまわないようにうまく雑種と混ぜあわせながらそれでずっと9名は沖縄馬在来種を保護しているとのことそして馬場草を食べる特に好きなのが芝生でそれにはちょっとびっくりだったそして歩いてる最中も好きな植物があるとどんどんそれを食べて立ち止まったりとかしてでもほんとに楽しかったのはクレイン乗馬学校のレッスンよりずっと楽しいまぁ当たり前のことなんだけれどあの臭いところでぐるぐる回っているより^_^本当の大自然の中で景色を楽しみながらそして腕の浜を楽しみながら歩くのは楽しかったこの馬のツアーは海辺を歩くと言うあのなぎさわ歩くと言うだけなので海と一緒に雲馬の背中まで雲波に水につかって馬と一緒に泳ぐと言う風なことではなかったみたいでそしてそれは仕様が満ちた時しかできないとの事今は水が冷たいからなんて言っていたけれど私は今朝泳いだわけだし東京の人にとってはこの水はあんまり冷たくないのだとむしろ外に出て
風に吹かれる方が寒くて水の中に使っている分には暖かく感じるいつもはなんだかもうそのあとすぐに原付バイクを借りて島をぐるっとまわったりまぁ忙しい事はなかったけれど今日はずっと海を見ている空空の色が変わるのかを確かめながらいうの刻一刻と変わるのを見ているそして海の色もどんどん濃くなってきたもうコバルトグリーンじゃないそれは空の雲がグレーになったからだ海が青いのは空が青い空で海は空移しただけだからだから海と空は一体何だと思う1対なんだと思う海は自分の色を自分で決められないのということが今日しみじみわかった海の色葉を決めるのは空なんだこれってすごいことだと思うこんな発言をしてしまった今発見でも何でもないのかなこうやって見ると雲がかなりオレンジとネズミ色を混ぜた色になっていてだから海も全く同じ色になっているいつもだと1番にお風呂に入るぞーみたいな感じでお風呂に行くんだけれどだけど今日はそういう事は市内でこの最後の最後の子子子子子子子の海と一緒に過ごそうと思う子の子光景を目に焼き付けておきたいだって次にこの真っ青な海を見られるのはいつのことなのだろうか11月は見られない12月に行くのはあれは機械等高回間機械斑鳩寺中ようとだからこういう沖縄の海とはまた違うと思う11月12月は火山を見に行くようなものだから馬の人たちが偉いと思ったのはその馬生馬が働ける場所は長仕事をなくしていて旨を使わなくても良い社会になっていったことで馬の授業がなくなってでも馬に働く働いてもらう生的に人間が共存するそーゆー社会を作っていきたいと言う風なことも言って言っていたそれで旨を育てるのはお金がかからないとか言っても私はそれには本当にびっくりしてしまい
びっくりしてしまったその子は妊娠していたけれどでもこうやって40キロ位の人だったら載せられるからそうやって歩かせることでかえって健康に良いのだとのこと言っただけど何かお腹に赤ちゃんがいる生馬さんにまたがって本当に大丈夫なのかと心配になってしまったから馬がどんなに寄り道してこれ食べてやる食べてとやってももう見て見ぬふりをしたそして歪めがすごく硬いからだから海辺の家のサンゴ礁の上もどんどん歩いて行ってしまった旨は自然のものだけを食べるから
資料を買って与えるような事は一切なくて間を育てるのってただなんですよーなんて言っていたのがそれがびっくりしたお金をかけずにお金を稼ぐと言っていたうわー私は上の世話をするのはすごくお金のかかることだと思っていたけれどそれは人間の中で暮らしている話であってこの在来種の間のように本当に自然の中で暮らしている旨はお金がかからないのだそうだ
今日は神様の作品を解くと拝見させていただいているいつもこの形を見ることなしに忙しくバイクを走らせてきたりお風呂につかっていたり着替えてご飯食べる準備をしていたり今5時51分いつもだとご飯を食べに出かけるため歩いているところをかなり暗くなっているそっか私がとっぷり暮れてしまう前にご飯のところに着いた方が良いのかもしれないこんなふうに海を見ながら海の色が海と空の色が変わるのを見ながら時間を過ごす人生のうちで何度もそういう事は無いだから今日のこの時間を大切にした6時までは神様のこの作品にお付き合いしようと思うライブで見せてくださる神様ありがとうございました久米島に来てほんとによかったです良い旅でしたいつもは3カ所位の島を巡るのに今回は離島ここだけにして良かったと思いますいちどにいろんなところに行くより何度もいろんな子何度も行けばいいんだからだから1つのところをじっくり見ようほんとに神様ありがとうございます良い旅をしました
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令和3年10月28日 木曜日

 

日の出を見ながら朝風呂に入って、朝ご飯。

このような小さいものがたくさんあるビュッフェは、私には合っている。

食後、再びお風呂に入ってしまった。だって、那覇では大風呂に入れないから。

バスで久米島空港に向かい、那覇へ。

フリーゾーンのマダム、たくさんの修学旅行の生徒さんを迎えて嬉しそう。やはり、お店は忙しいのが一番。

県庁前からすぐの立地条件はいいのだけれど、このホテルアベスト、ひどい。ランタナには、部屋の中に6個あったUSBポートがひとつもない。それどころか、ベッドライトもないから、天井の灯りで本を読むしかない。

部屋の中が酷すぎ。水回り、ダサ。客すじが悪いホテル。

これも一つの経験。

 

 


令和3年10月29日 金曜日

 

朝、牧志駅で集合して、斎場。

なんだ、県庁前からでもよかったのだ。

よく読まなかった自分が悪い。読んだのに読んだつもりの私は本当に反省しないと。

久高島が正面に見える。

宗教施設。

ガンガー鍾乳洞。

湊川原人がここに住んでいた。

すごい。

鍾乳洞カフェ。

考古学的価値が高い。

 

 

 

令和3年10月30日 土曜日

 

ホテルから県庁前は歩いて2分。

立地条件だけ良いホテル。

沖縄テーマパークの中にある鍾乳洞。

 空港で降ろしてもらい、東京へ。

こういう形で午前中だけ観光できるのはいいシステム。

羽田からリムジンバスで大久保。

運転して戻る。

あー、いささか長かった。最後の1日の名ははいらない。

障子が全部破れていた。

かわいそうに、お母さんがいて寂しかった子たち。

これでは貼るのが大変。


令和3年10月31日 日曜日

 

朝、教会。昨日遅かったから、お店が閉まっていて、今日は皆さんに焼きコロッケ持って行かれない。来週持って行こう。

弘前で仕立てたドレスと、タイシルクのジャケット。

家の中がめちゃくちゃだから、やることが多すぎる。

昨日の夜、暗い道を運転して最後の力を振り絞って帰って来たばかりだから、すごく疲れている。

お三味線の沼尻照子先生が天国へ召されたと、みささんからご連絡をいただく。

先生には、フランスのル・ピュイでお世話になった。

ご一緒に舞台をさせていただいて、とても楽しかった。


令和3年11月1日 月曜日

 

明日新宿へ行ったら、沼尻先生のご仏前に坂本屋のカステラをお送りしよう。

明日は久しぶりにお稽古に行く。

水曜日に塩美さんが、ここへヒーターを届けて下さるとのことなので、家の中を掃除しないと。

もう信じられないくらい、はちゃめちゃになっている。

以前の、「死んでも床の上に物を置かない」状態にしないと。

時間が足りない。家にいるのに。

令和3年11月2日 火曜日

 

お稽古の後、三輪治療院に寄り、その後、カステラの坂本屋、仲野クリーニング、アートメイクに行き、アイラインの2度目をした。

1回目の時より痛い。麻酔をたくさんされた。

しかもその後、新宿東口眼科で、目薬の処方箋を作ってもらった。

原付バイクの運転の途中で寝ないで、どうにか戻って来た。

私にはこの30キロの距離は、ちょっと長すぎるけど、途中でペットのコジマに寄ったりすることで、気分が紛れる。

杉並のソフトクリームは、開いていることはわかったのだけれど、糖分を摂りたくないから、寄らなかった。すごい精神力。沖縄から戻って、体重が3キロ増えた。食生活がすごかったから。

東京で3週間粗食して、旅の1週間で太るというサイクルになる。

 


令和3年11月3日 水曜日

 

塩美さんはお夕食にいらしゃるのだと思ったら、もっと早くおいでになるようだったので、5時以降にして下さいとお願いして、急いで片付ける。

もしかして、引越し以来、友人がいらっしゃるのは初めて。これまでは業者しか来なかったから、かっこよく片付けようなどという意識はまるでなかった。

エビのサラダにタルタルソースのオードブル、バジルオリーブの白身魚、maison cayserのキャラメルパイとレモンパイ、それから何だったのだろう、あ、柿、あと忘れた。

肝心なものを忘れていた。塩美さんが帰ってから、ご飯が炊けていたのを忘れていた。

ファンヒーターだけでなく、鏡やカラーボックス2個もいただいた。感謝。

立川教会へ行ったから、塩美さんとお知り合いになった。行かなかったら、これらはない。神様ありがとうございます。


令和3年11月4日 木曜日

 

お稽古の帰りに三輪治療院へ寄ってから、広末医院で血圧の薬の処方箋を書いていただき、李さんのところに寄って、赤いコートのお直しを頼んだ。

前にお願いした紺のコートもまだできていないから、これだと、寒い日に着るものが毛皮になってしまう。

そんな大袈裟な格好、まだできない。

7月くらいに頼んだ黄色い夏用のジャケットもまだできていないから、来年の夏に着ることになるだろう。

ともかく遅いけれど、仕事は丁寧だから、文句の言いようがない。

病気の奥さんがいるというのは不思議な話。

 

令和3年11月5日 金曜日

 

今日はお稽古がないから、1日家にいようと思ったけれど、処方箋を持って、目薬を受け取ってきた。

毎日数回指していた目薬なのに、なくなってしまったから、旅行中全然差していなかったのは失敗。

太陽に散々当たって、目が疲れていただろうに。

今日も昨日も何も食料を買っていない。

それでいい。食べるものはたくさんある。

冷蔵庫で腐らせてしまうことだけは、絶対に避けないといけない。

三浦大紀さんの踊りの公演に行っていたら、きっと具合が悪くなっていただろう。踊りは見たいけれど、往復の4時間が長すぎる。今は、安静にして、血圧を下げないといけない。

 


令和3年8月6日 土曜日

 

市場でコロッケを買う。先週は用意できなかったから。

 


令和3年11月7日 日曜日

 

教会。赤も紺もコートが李さんのところへお直しに出しているから、着るものがない。
仕方ないから、毛皮を着た。今年初めて。

 


令和3年11月8日 月曜日

 

鹿児島旅行のために、薩摩三島の民宿に何度も電話を入れる。びっくりしたのは、宿が空いていないこと。

工事関係者が、長期で滞在しているようだ。 

そのような仕事でもない限り、その島でお金が落ちないから、それはそれでいいことだと思う。

毎日、美味しい食事を食べるなんて、仕事というより、休暇みたいで、さぞかし太るだろう。

次回、沖縄のフリーゾーンにちんすこうを頼む時、忘れずに、35コーヒーも頼もう。あ、そーきソバも。

あれは美味しかった。

 


令和3年11月9日 火曜日

 

午前中大雨。今日のレッスンがなくて、代わりに明日になったのは、本当に神様のご配慮。

こんなに濡れていたら、大変な病気になっていたかも。

薩摩硫黄島の宿に電話をして、2泊のお願いをする。

でも、これ、ちゃんと3日目の朝に、鹿児島港行きの船がちゃんと出るということを前提にしている。

怖かったら、1泊で鹿児島へ向かうということも考えられるけど、それだと、1週間も鹿児島旅行をして、結局、硫黄島にいられるのは、わずか1泊ということになってしまう。

今度、時間を作って、必ず、竹島と黒島に行こうと思う。
そういう島で時間を過ごすことは、すごく大切なこと。

リゾート慣れしてはいけない。

 

 

 


令和3年11月10日 水曜日

 

お稽古の後、三輪治療院、その後、東急ハンズで障子紙と糊テープを仕入れる。猫さんたち、人間のお母さんの苦労も知らないで。

断熱材のプチプチを買ったから、多分、暖かいだろう。

 山崎さんにまゆみさんという名前の、聡明な女性をご紹介いただいた。

KOKをさっさとkucoinに入れて、$100おろして下さった。

明日には、送金されているはずだとのこと。

ご指導に感謝。

バイク走行距離は、436km。500になったら、初回の定期点検に行く。ということは、今週の金曜日に行く感じかな。

キロ数を記録していると、予定が立つし、過去の行動もわかる。


令和3年11月11日 木曜日

 

朝、若干遅く出たから、ゴミを出す時間もなく、朝日が眩しくて運転が難しいほど。

やはり、せっかく隣の家に来た新聞配達の音を聞きながら、寝てしまった自分が悪い。

その音で、起きて朝風呂に入ればよかった。

結局、バイクをスタジオの自転車置き場に置いてしまった。

本当は、これやりたくない。

お稽古の後、三輪治療院、その後戻ってご飯の後、疲れて3時から6時まで寝てしまった。

それで11時まで仕事をして、就寝。

ちゃんとお風呂に入って暖まったから、ぐっすり。

やはり、この季節、お風呂で暖まらないと、寝付けない。

そろそろ湯たんぽ用意しようかな。

しまった場所はちゃんとわかったから。

今週は、さあ、あと1日。

 


令和3年11月12日 金曜日

 

セルでエンジンがかからなかったのが8/12。

その後19000キロ台で売って、買い替えたのが、9月末のお誕生日。そして今日、お稽古と、三輪治療院の後、初めての定期点検、500km突破。

快適な走り。

戻って来て、ご飯の後、先日買ってそのままにしていた球根を植えた。ヒヤシンス、チューリップ、百合。

来年の春、咲くのが楽しみ。

kucoinにちゃんとKOkから送られて来ていた。2日かかった。さて、あの6桁の番号、いらないと思って、消してしまった私はなんという愚か者。

ログインパスワードと取引パスワードは違うみたい。

ああ。

 

 再発行されないとまずいことになる。

まあ、1回目だから、失敗もあるだろう。
こんなことなら、もっと少ない金額を下せばよかった。 

あ、大丈夫、失くしても、再発行されるのがわかったから。

 


令和3年11月13日 土曜日 

 

 

あの肉屋さんがあることで、私の食生活は武蔵村山市に来て、格段に良くなった。

量り売りは素晴らしい。

いつものとりの胸肉と、土曜日に必ず買うコロッケ、株と一緒に煮たい鶏ひき肉。

最近、睡眠時間を多くとっている。 

 


令和3年11月14日 日曜日 

 

 信じられないほど暖かい。

教会へ行って、弘前で仕立ててもらったドレスとピンクのジャケットで踊って、戻って猫さんのお世話をしてから、また教会へ。

時間があると思っていたけれど、実はない。
生誕劇のプロジェクトは非常にやりにくい。
教会の常連さんたちを喜ばせるためのプログラムだからだ。
子供たちも、来るのか来ないのか、ムラがあるから何も決められない。

たとえ人数が多くても、インドのチャンドラナガルの方が、どの子も出ることが前提となっていて、スタッフの助けがあったから、あの方がよほどやりやすかった。

 

 


令和3年11月15日 月曜日 晴れ

 

朝起きて、午前中、一番乗りでかたくりの湯に行こうとしたら、なんだかんだとあって、実際に温泉に入るのは、10時20分になっていた。おかしいなあ、10時10分前には家を出る準備をしていたのに。次回は、9時半に家を出ようかな。でも早過ぎるかも。いえ、そんなことはない。温泉の建物に入る前に、農家の人から野菜を買うから。

安いけれど、泥がついたネギなんか買ってしまったら、どうするのだろう。高くても、洗って、小さくまとめた商品の方が私にはありがたい。

今日は、何度入ってもサウナの中で毛穴からどんどん汚れが噴き出して来るようで、何度も石鹸で身体を洗ったけれど、それでも後から後から垢が出てくる。よほど詰まっていたのだろう。毛穴が抜けたような感じになった。

午後4時半から3時間昼寝をしてしまった。

毛皮コートの両腕の毛皮のマフが見つかった。どうしてこれまで見つからなかったのだろう。

襟の毛皮は、赤いコートに縫い付けてしまったから、今更どうしようもない。

身体を温めたまま寝るために、どんなに眠くても、寝る前には必ずお風呂で温めよう。

洗うというより温めるのが目的。

 


令和3年11月16日 火曜日 

 

 純福音立川教会の納骨堂に初めて行った。

実は、曲がるところがわからなくて、通り越してしまい、また戻ったけれど再度通り越してしまい、仕方ないから、東大和郷土資料館なんていう、普通なら行かないようなところで展示を見てしまった。

なんと40名くらいの団体が入って来たので、慌てて出て、もう一度チャレンジしたら、なんと、急な坂を降りた右側にあった。

労働奉仕でお手伝いできることをしようと思う。まず、花鋏で枝を整えるとか。ソファに布を貼るのもいい。

生誕劇、自分でちゃんと責任を持って美術も全部仕切らないとダメだと感じた。

 


令和3年11月17日 水曜日 

 

すごく寒くなった。どうして紺のダウンジャケット着なかったのだろう。それに、レースのロングスカートなんて、履いてる意味がない。フェイクレザーにすればよかった。しかもインなスカートも履くの忘れてしまった。アンクルウォーマーしかり。

明日は冬支度をして出るぞと決心した。

お稽古の後、三輪先生、それから、仲野クリーニング、東急ハンズ。高島屋でSサイズの特売やっていたけれど、そういう、とりあえずというものを買ってしまうと良くないのではないかと思って、やめた。それで正解。
安いものをたくさん持っていても仕方ない。

久しぶりに白子のお味噌汁を作った。炒飯は、帆立貝でやったらすごく美味しくなった。


令和3年11月18日 木曜日 曇り 弱い晴れ 寒い

 

どんなに寒くても、紺のダウンコートを着ていると、信じられないくらい平気になるから不思議。昨日と違い、ちゃんとフェイクレザースカートも履き、しかもその下には、キルティングの巻きスカートという念の入れよう。

お稽古の後、三輪治療院、その後、バイクで浅草橋へ行き、収穫感謝祭で踊る時の、野菜果物の小道具を揃えた。

さすが、いいものが手に入った。

でもそこのお店は、カゴを売っていなかったので、武蔵村山に戻ってから、verdeの前の店でそれらしき籠や、柿なんかも買って

糸で結え付けながら、小道具を完成させた。

茄子のヘタが取れてしまったから、明日、瞬間接着剤を買って、直さないと。

踊る時、とりあえず動いてしまうのと違って、今回のように収穫の喜びとか、テーマがあるとちゃんと準備できるから嬉しい。

小さい本番だけど、今の私にはそういう場が有り難い。これこそ神様のお陰。

今日は、晩御飯を食べそびれた。

夜9時過ぎに食べるくらいなら、明日の朝にしたほうがいい。

 


令和3年11月19日 金曜日 

 

お稽古がなくなったので、教会の納骨堂の入り口の植木の剪定に行く。

かなり長い間、手を入れていなかったようで、蜘蛛の巣だらけだった。他の虫の死骸とかもくっついていた。誰のものだかわからない林がすぐ隣にあって、すごい、よくそのような土地を取得したと感心させられた。

ノコギリがなかったので、次回行って、脚立で塀の上に登れば、もっと枝の始末ができる。

数年前から伸び放題な感じだから、この状態では、花が咲かない。飾り石はない方がいいかもしれない。柊は、ちゃんとした状態なら、クリスマス礼拝に使える。

やっと白丸湖の師匠にメールを出した。

鹿児島のwind and wavesさんは、すごいツアーをつくってくださった。嬉しい!

元気にならないと。

だけど、今日は朝から、血圧が200を超えていた。1日に何度か測ったけれど、超えている時が何回もあり、これはまずいと思った。超えない日が1週間続いたら、なんて、夢みたいなことを考えていたけれど、超えない日って、1日くらいしかなかったのかもしれない。

帰って来なくて、どうしたのか気になっていた子が、帰って来た。

どこから帰って来たのか、寒い夜をどのように過ごしたのかもわからない。

戻って来ても、ご飯も食べず、お水も飲まず、ひたすら寝ている。

よほど辛い時間を過ごしたのだろう。かわいそうに。そっとしておいてあげよう。

ブリュンヒルデちゃんが、添い寝してあげている。本当に優しい子だ。

 


令和3年11月20日 土曜日 晴れ

 


令和3年11月21日 日曜日 小雨降りそうな曇り

 

 


令和3年11月22日 月曜日 曇りのち雨(千葉)

 

 

 

今までこようと思っていてもまぁ近いからそのうちなんて思っていてどんどん後回しになっていたこの鹿島神宮香取神宮国立歴史博物館の3泊4日の旅が今日始まった朝6時半に出て三輪先生のところでマッサージをしてから早めに着いて船で桜の街を川から眺めよーとか思ったけど雨だとのYahoo!天気を見て寝るのが遅くなってしまった子昨日せっかく教会に忘れ物の携帯電話を取りに行ったのにその帰りに猫ちゃんのご飯を買うのを忘れてしまったから今日はそれをまず買ってそして旅の途中で食べるカマンベールチーズとかも買ったのにそれは忘れてしまったけれどまぁいい猫ちゃんのご飯がちゃんとたっぷりあるのだから何かいろんな生き方あるみたいでバスで行くのが楽だみたいに書いてあるけれどでもそのバスに乗るのに東京駅に行かないといけなくてそれもなんだかめんどくさいのでいっそのこと新宿駅で乗ったらそのままと言う方がいいかなと思ってその手を使ったまぁ途中でダンテの本とか読んでいたので赤田高いのの解説による時間は別にそんなに気にならなかったんだけどこれだけ時間をかけたら沖縄だったらとっくについてるなぁと思った結局羽田から出かける遠い場所の方が簡単につけて近場の方が時間がかかる佐原まで行ったらわずか1980円だったびっくりホテルルートインは佐原のホテルから1分のところにあってすごくいいサービスでびっくりしかも価格に朝ごはんがついているそれに1階には大浴場があって朝の5時半からお風呂に夜中は夜の2時までこれは凄いと思った私はホテルルートインと言うのは初めてだけれどいろいろな場所にあるみたいだ成田ではアパホテルにしてしまったけれどこれからはルートインを使ってみようと思っている


令和3年11月23日 火曜日 晴れ

 

 ホテルルートインの朝ご飯はまぁさほど大した事は無いけれど値段を考えたらこれで良いのではないかと思います駅からバスに乗って香取神宮へ行きました香取神宮はやはり鹿島と同じようにそこが太平洋からの入り口でその両側だったから重要なのだと思います今みたいな地形ではなくて霞ヶ浦も海で結局千葉県は砂地ができて土地ができて海抜の低い陸地ができたけれどもともとはそこは海であったと言うことだと思いましたしかし香取神宮の機能太さ未来が3メートル以上もあることからかなり早い時期からの森なのだと思いました境内ではちょうど菊祭をやっていて菊を使った五重塔とか大きいとかきれいな造形物がありました日比谷公園の菊花展ではお目にかかかからないような大掛かりな作品が展示されていて見られて良かったと思いますでも菊人形はありませんでしたそこからタクシーで船着場まで行って佐原船巡りをやりました船から見る古い家並みは本当に美しくてでもこれは新しく新築する修理とかするときに行政から補助金が出るけれど基本的には自分の資金でやるのでですから何とか文化財に設定される以前に作った家は安普請で建ててしまったようですこの景観が守られることを祈りますがやはり景観を保つのはお金がかかると思いましたそれから加賀んて言うんですかあの川の内側の石組江戸時代に作ったところが1番美しくてだんだん変な風になっていって最後は何かコンクリートとかあと鉄の板になってしまって後鮫ですそこからちょっと歩いて自転車のレンタルをしているところがあったので電動自転車を借りて佐原祭の台車台車っていうので出して出し会館に行きましたそして移動する宮田と言うふうにその認識はあるみたいでしたけれどそれをダビデのあの契約の箱をお祭りのように担いでと言うそこからの説明はもちろんありませんでした日本の歴史をユダヤを絡めて語る人と言うのはまだ少ないのだそこからは歩いてホテルに戻りましたまぁ15分ぐらいだったでしょうか明日の電車の時間も確かめました今日はホテルのレストランが晩御飯を作らないみたいででもまぁいいやお昼うなぎとおそばのセットを食べましたしソフトクリーム食べた後1時間後に芋アイス何か食べてしまったので全然お腹は空いていませんそんなことでまぁ今日はいろいろやったのでもうほんとにくたびれ果てて2時間位た.あまりに疲れたからお風呂に歩いて行くこともできなかったのですが5時半ぐらいに気を取り直してやっとの思いでお風呂に行きましたやはりいいですね広いお風呂があるホテルと言うのはこれからはそういうところを探そうと思います

 


令和3年11月24日 水曜日 晴れ

 

朝から鹿島神宮へ行き、バプテスマの池で思い切り怪しいと思いながら、坂を上がって、戻り、参道の左側にあった小さな資料館。

ここを訪れたのは、まさに神様の導き。

お船祭りの動画を見て、これまで疑問に思っていたことが解決したような気持ちになった。

12年に一度催されるこのお祭りは、香取の神様が鹿島の神様をお迎えに行き、大船団を引き連れて、香取神宮へお連れする。

これは、すでに日本に到着していた部族が、次に来た部族をお迎えして、同族であることを確認し、無事の到着を喜び、共に新天地で国づくりをしていこうという新たな誓いを交わす。

こういうことなのだろう。

シュメールから来た船が、鹿島と香取の間の川を入って行き、日本の内部へ行くというのは、こういうことかと、改めて納得してしまった。

これを見るために今回の旅はあったようなもの。

その後、成田へ行き、アパホテルへチェックイン後、成田山新勝寺へ行く。ものすごいきつい上りで大変だったけれど、あれが噂の成田さんだから、行ってよかった。おばあさんの原宿みたいな巣鴨を、もっと曲がりくねって、勾配をつけたような参道が面白かった。

昨日も今日も、鰻とお蕎麦のセットを食べてしまった。このような食生活、よくない。

しかし、明日はもっとひどい食生活になるとは、今日の時点ではまだわかっていなかった。

アパホテルは本当に最悪なところだけれど、まあ、一晩だけだから、目を瞑って明日を迎えればいい。

直前に、アパを1泊に減らして、佐原を連泊にしたのは、これはもう、神様のご配慮。

ありがとうございます。やることなすこと、神様が良い方向へ導いて下さる。

 


令和3年11月25日 木曜日 晴れ

 

朝6時にお風呂に入りご飯を食べてそして成田からあれ柏厚生違うんだ間違えた成田からあぁ桜に行って桜からえーとバスで国立歴史博物館に一番宣を下渡さんと一緒に行っているような感じで私はすごく渡さんを感じた小さい頃から^_^博物館を訪れると言うことに慣れさせてくれた渡さんにすごく感謝しますそしてここは日本で1番良い柏博物館だと言うふうに言われていたのだけれど1から6までと言うプラスでABというのがあって。両方を見て1000円だったのだけれど1を見始めただけでもカタカナがあまりにもたくさんあるのでびっくりしてどうしてこんなことカタカナ使うのかな普通にキャンプとか書かないで普通に集落とか日本語でいくらでも表現できるだろうにと思うことがたくさんありすぎて誰が書いてるんだろう分析誰なのかちゃんとした艦長がやっているのかそれとも学生にアルバイトでやらせているだけなのか他の外国語英語しかやってない人と言うのは英語の単語嬉しくて使いたがるものなんだけれど外国語をいくつもやっていてドイツ語もフランス語もイタリア語も英語もできるたくさんできるうちの1つが英語位の人だとそんなに無理にうれしそうに英語の単語を使ってものを書くなまずやらなくてきちんと日本語で書ける書くようにするものなんだけれどちょっとそこら辺が問題かなぁと思ったそれで一応終わった時点で既に12時でwowこれ3時に東京駅着のバスが来るから後の2から6とABを全部その時間内にで見ないといけないだからもうゆっくり動画を見たりとかもできずさっささっさと歩いてしまったちょっとやっぱり気になるのがあぁやはり水俣病の事とかそれから部落問題水平社の事とかハンセン病とか。在日朝鮮人問題とかなんかちょっと私があの違和感を覚えて1番ひどいなと思ったのは明らかに間違えた記述のあるアイヌの事かな鎌倉時代に日本に来てそしてすでに江戸江戸に住んでいたもともとの縄文人だった日本人を殺害してそこを自分たちの居住地にしたと言う風な記述がなくって愛のがなんか先住民みたいに書いてあったのでこれじゃ生歩歩行と同じだいやこれはダメだとともかく3時のバスに飛び乗って後は東京駅八重洲口までまっすぐそして真っ暗な中を大久保から家まで運転して帰って疲れ果ててしまったお昼ご飯を食べる暇もなく中を見ていたし晩御飯のものを買う暇もなかったからだからなんかこの旅行はいいんだけれど行き帰りの日にこういうことがあると食事が不規則になるなと思ったけどまぁそれはいいですあの良い旅をしました

 

 


令和3年11月26日 金曜日 晴れ

 

久しぶりのお稽古の後、三輪治療院。

その後、高島屋でメイクをしてから、山崎さんに新井さんをご紹介いただいた。

すごい、そういうことだったのか。わかった。今、わかってよかった。

これまで、情報不足でこういうことを知らなかったから、馬鹿みたいに100万くらい増資して複利にしていたけれど、これはこれで、もう単利でおろすだけにしよう。

もっといい方法があれば、どんどん先へ進んでいくことが大切。

あまりに疲れすぎて、ビッグカメラへ行って、SIMカードを買うことさえできずに帰宅。

後で、それを悔いることになるとは。

まあ、いい。

身体が一番大切だから。それでも、市場で鶏の胸肉を買うことは忘れなかった。

 


令和3年11月27日 土曜日 晴れ 

 

久しぶりに作った鶏の胸肉のマリネは美味しい。

旅行をしていると、どうしても食べ物が問題。

だからだと思うけれど、帰ってきてから、血圧の状況が良くない。

200以下にならない。

これは、午後昼寝ができなかったのと、食事が変だったらだと思う。

近所の本屋兼文房具屋で、生誕劇用模造紙などの材料を揃えた。

 

 

 


令和3年11月28日 日曜日 晴れ

 

教会へ行ったら、フィリピンの先生が、背景の絵と羊の衣装を担当して下さった。

しかも、倒産したベトナム衣料品屋から大量に貰い受けたという衣類が、衣装として大活躍しそうで、組み合わせてどうにかしたら、どうにかなってしまいそう。

これも、神様のお陰。

ありがとうございます。

あの職人さん、お人柄がちょっと。ハレルヤと歌ってうるさいから歌詞を歌ってくれるといいのだけど。



令和3年11月29日 月曜日 晴れ 

 

燃えるゴミを出す以外、外へ行かずにこれまでできなかったことを家の中でやる。

明日また新宿へ行くから、今日のうちにいろいろ終わらせないといけない。

明日は、お稽古の後、三輪治療院、10:30からヒロスエクリニックで血圧の薬をいただき、その後、SIMカードを作りにビッグカメラ。

携帯忘れないように持って行かないと。
その後、年賀状のことで東急ハンズへ行かれるかな。

まずは、猫写真を用意しないと。

あの美人猫の最高の写真は、サイズが小さいし。

困ったものだわ。こんなにたくさんあるのに、選べない。

沖縄国際通りフリーゾーンにちんすこう100個頼んだ。先月たくさん届いたのに、もう全部なくなってしまった。人に喜ばれているのだから、よかったというしかない。

昌世さんが公演をするので、楽屋見舞いに送ろう。

 

令和3年11月30日 火曜日 晴れ 

 

 


令和3年8月31日 火曜日 晴れ 

 

お稽古の後、三輪治療院、李さんのお店で仮縫い。李さんには教会でお目にかかれなかったから。

李さんのお店に行ったら、カヤック用のキュロットの仮縫いをして下さった。

そこのお店の前のオーナーが営業権170万円を売ると言った経緯も話して下さった。

びっくりした。

小平墓地に寄った。心が洗われた。

シズさんの美しい心をいただいた。

一緒に旅行に行きたかった。

今の私と当時のシズさんが一緒に旅行するというのは素敵なこと。当時のシズさんは、今の私より若かったとは。

シズさんが大好き。

水場前の芝生のところで足を踏み外して転んでしまったので、左の足首、ちょっと捻挫気味。

白黒猫がいつもいる。そこに住んでいるようだ。他人とは思えない。ブリュンヒルデちゃんと、ムガベちゃんに見える。


令和3年12月1日 水曜日

 

一度も外へ行かない日にしようと思ったけれど、杉本茶園に行って、オレンジ茶、りんご茶、東大和紅茶、最高級ほうじ茶を仕入れた。

柿右衛門の方が当然のことながら種類もあり、ブランド感もあるけれど、まあ、いい。

千葉さんにご仏前ということで、お茶を送ろう。

1月にお目にかかれるといいな。


令和3年12月2日 木曜日

 

お稽古の帰りに、三輪治療院、高島屋に自転車を置いて、京王デパートへ。

伊太利屋で、豹柄のズボンを買った。

薄いから下にストレッチズボンを履いた上のカバーズボンとしての役割でもいい。

戻って、すぐにお風呂。お昼ご飯を食べたら、もう4時。

お風呂に入っておいたのは正解。ご飯の後だったら、もう疲れて寝てしまうから、入るきっかけを失う。

案の定、寝てしまい、夜中の1時に起きて、これを書いている。

あと1日で出発なのに、あんまり準備していない。

今回は寒いところ、鹿児島、へ行くので(?)何を持って行っていいのかわからない。

さすがに小さなピンクのキャリーバックは無理だし、青いのは、李さんのところへ行っているから、長らく使っていなかった豹柄キャリーケースを使うことにした。

KOKの収益が4%になって、一瞬びっくりしたけれど、まゆみさんによると、明日からは5.2%になるとのこと。今までが7%という出来すぎた条件だったのだろう。


令和3年12月3日 金曜日

 

5.3%でショックを受けたくらいで済まされないことが起きるとは。

全員一律で1KOKが$6.2になるって、元々3ドルだったわけだから、価値が半分になったということなのだろうか。というか、ドルに対して、価値が2倍になったと考えるべきなのだろうか。

レッスンの後、いろいろ用意をして明日に備える。持って行くものを用意していると、どうしても多めに服を入れてしまうけれど、1週間くらいの旅行にそんなに洋服は必要ない。

もっと小さなスーツケースで十分足りる。

でも、李さんが私のブルーのスーツケース持っているから、少し大きめの豹柄を持って行く。もっと早く持って来るように、李さんに頼んでおけばよかった。こんなに来なくなるとは予想していなかったから。

 

 


令和3年9月12日 土曜日 晴れ

 

前の日に夕方数時間寝てそれで夜の11時から2時ぐらいまで仕事をしてそれでまた寝て起きたのですでに5時半になってしまったまずい6時に出られない猫さん達のご用意自分がご飯を食べるそんなことをしているうちに結局出たのがなんと7時45分50分になってしまったあぁ本来出かけようと思った時間よりも2時間ちかく遅くなってしまったなんてありえないそのまんま神楽坂のメゾンカイゼルに直行してそして空港で食べるパンを買ってだけどもうその時点で時間があぁ9時ちょっと過ぎこれから大久保の倉庫に行って自転車に乗り換えて三和治療院へ行ってなんてやってると11時に出発新宿出発できないだからもう仕方なくそのまま大久保に行きバイクを置いて歩きで中央口のメガネ屋さんに行ったらなんとそこがまだやっていない10時じゃなくてあそこの店は11時オープンだったのだあぁやられてしまった相撲歩くと足が外れそうに痛いしこのまま品川乗り換えはきついなと思ったので京王デパートのところに行ったらおやおや京王デパートの前はバスが降りる事はあってもそこから乗る事はできなくなっていたバスタに歩いて行ったら30分ぐらいかかってしまう走って15分で飛び乗ることもまさかできないだろうそれで仕方ないからバスで行くと言う空いてれば止めて従来の品川経由で行くことにした暑い何しろ暑いんだって毛皮のコート着てその下にダウンジャケット着てて毛皮のチョッキを着てそして足何かストレッチズボンの上に江頭神代1のズボンでその上にさらにダウンジャケットみたいなバイク乗るときのズボンを履いているほんとに暑い羽田に着いたらまた案の定早すぎたけれどだけどあれで実は先生のところに行ってマッサージを受けていたら飛行機に乗り遅れていただろうからまぁ私が遅く家を出たのが悪いのだからマッサージできなくても仕方ないだけど今日は駅をいっぱい歩いたそして足が痛くて痛くてもう歩けない位だった飛行機に乗ったらもうすぐ寝てしまってそして鹿児島に着いて空港でご飯を食べてあのウィンドランド阿部直人さんが迎えに来て下さるのを忘れていたおかげで空港で食事ができたからまぁよかった全部食べたけどあんまり美味しくなかったと宿で晩御飯が出ない素泊まりとの事なのでもしこれで定刻に来ていたらご飯食べられなかったから帰って良かったのだと思うそして宿に着いたらまぁほんとに寒くて何しろ寒くてそしてこの離れから本館の温泉に行くそのわずか20メートルを歩くのに毛皮のコートを着ていないとダメだったなんでこんな寒いんだろうこれはすぐそばに滝があって滝のあの寒い温泉は素晴らしく、そして水風呂も入りサウナもやっていて体がほんとに温まってよかったお腹回復した今日は足が痛いからどうしようかと思ってたけどこのサウナで治った気がするでもあまりの疲れで電気をつけっぱなしで寝てしまい夜中の11時に起きて今度は別館のほうのだからお部屋から数メートルだけしか離れていないそこのお風呂に入った完全に私1人しか止まっていない風な雰囲気がビンビンしているのにそれなのにちゃんと温泉を24時間入れるようにしてると言うがすごいしかも掛け流し源泉掛け流しほんとに温まる24時間入れるというのがすごくいいことだと思うだから部屋が寒いだのあの男だってそんなの別に構わないで部屋にちゃんとバストイレもついていっててもそんな風呂場なんか全然使わないからだからお風呂入れば良いことでない夜にトイレがついてるのはほんとにいいんだけれど温熱便座シートがなくてもシルエットもないそういう昭和のトイレ尚香久しぶりに入ったらさぁ明日に備えてよるまぁ今12時夜中の12時さぁ寝ようおやすみなさい神様ありがとうございました

 


令和3年12月5日 日曜日 晴れ

 

朝風呂入りに行ったらなんで24時間入れるとかって言う話だったのにぬるくて自分の体温よりも低い温度だったからもう寒くてだけれど部屋の空気の方がもっと寒いからもうお湯お湯というかぬるま湯の中から出るに出られれずほんとに苦労してしまった変な朝風呂だったそして朝ご飯には前の日に買っておいたパンとみかんとバナナとお茶で済ましてそして姶良版に連れて行っていただいた驚く子驚くことに女性の方たちが何人も参加していてしかも全員その土地の方たちだった毎週集まってみんなでこいでいるようだいやこれは凄いと思ったこれまで参加したどの離島のカヤックでも土地の人々が通ってみんなを育ててそれで観光客の観光カヤックをやっていると言うのではなくて土地の人々はもう存在しなくて観光客だけを相手にしているカヤック屋さんだったから誰も一見さんで楽しんでもらうだけで育てるわけではなくてだけどここのアエラはなんとその人々をあの育ててちゃんと技ができるようにしてて大会にも出られるようにしてみんなでこぎながらそれでみんなで応援しあいながら伸びていくと言う奴これはほんとにすごいなぁと思ってしまったそれらの方達と一緒にこぐ機会をいただいただけでも私は本当にラッキーなんだと思った笑と片道5キロ往復10キロ恋でまぁ1ヵ月ぶりにやったわけだけれどとてもいい機会だったそれですごいびっくりしたのはサップで一応いちど移動というか距離の移動をしてぐいぐいその10キロをこいでいる人たちがいると言うこともそれも私にはびっくりでと言うのは白丸子でいつも置いてるだけで上でポーズして写真撮ったりヨガやったりと言うふうなことでどんどん距離を進んで向こうの浜までこいでいくみたいなそういう距離感っていうのは見たことがなかったのでそっかサップというのカヤックよりも手が火薬と同じ位移動のために使える手段なのだと言うことがわかったそしてサップの方が全身を使うのでカヤックより運動的には良いとの事まぁそうなのだろう私は水の中に落ちるのが嫌だからそういうのやらないわけなんだけれどまぁあの楽しいものなんでしょうそしてでその日の泊まるところは温泉センターでそこのホテルはあのちゃんとした寒くて古くて汚くてと言うのではなかったからよかったけれど1つだけ何を言うとあの部屋の中に湯沸かしポットがなくって湯沸かしポットでお湯を沸かすたびに2階まで降りないといけないことじゃ結局その2階には降りたのは3回ぐらい行ってしまったあれだけはちょっと不便だなぁと言う事とあと部屋の中に付いている洗面台のあの蛇口がひねるタイプではなくて手を下に置くと光で感知してバット水が出るあれなんだけれどそれだとコップに水を入れられないっていうのもあってだからやっぱり蛇口は普通にあの捻って開く方が使いやすいなと思ったそこのお風呂は前露天風呂はなかったけれどその変な温度の設定で多分あれは38度位と40一度と43度があってしかも40一度のお風呂にの湯子に行くのに38度の所生の湯船に入ってそれを通過しないと40一度の湯船に入れないと言うそれがなんか変だなーと思ったけれどまぁいいそれは私は、なんか電気風呂があってそんなのやるより泡ぶくぶくの蛇口があったほうがいいのになと思ったそして昨日の温泉もそうだったけれど効能とか何も書いてなくってうんちくがなんにもない読むものがない私は温泉につかりながらその造山活動だとかあのその成分だとかの説明したデーターをそれを読むのがすごい楽しみなのにそれは残念だったそしてママ残念だって部屋の中が寒くないというのはほんとに過ごしやすいもちろんあの暖房も付けなかった驚くことに女性の方たちが何人も参加していてしかも全員その土地の方達だった毎週集まってみんなでこいでいるようだいやこれはすごいと思ったこれまで参加したどの離島のカヤックでも土地の人々が通ってみんなを育ててそれで観光客の観光カヤックもやっていると言うのではなくて土地の人々はもう存在しなくて観光客だけを相手にしている

 


令和3年9月6日 月曜日 晴れ

 

今日は霧島のほうに行き現役の活火山の海底火山の真上をこぐと言うことになった考えるだけでドキドキする海底から湧き出ているそうでそこだけ硫黄の匂いがしたりとかぶくぶくして色も違うそうだそれは自衛隊の駐屯地の前位にあるGPSを使ってその地点を見つけてそこに行ったけれどそれはほんとにドキドキしてこの瞬間海底火山が爆発したらもう命はないなと思いながらこぐカヤックはほんとにスリル満点だった水深は朝そうに見えるのに180メートルあると聞いた浅瀬なんだけれどそこら辺だけが急に深くなっているようだ普通に船を持ってきてみんなが勝手に釣りをしたり景色眺めながら超えたりしていて船が生活の中に溶け込んでいるなと思った直船を自分の力で運べる人じゃないとできないことだけれどまぁあの阿部先生と言う方はほんとにあのポリシー持ってやってらっしゃる方ですばらしいと思っただからこれまでにお目にかかった観光カヤック屋さんとは違うんだと思ったそしてその後鹿児島まで送っていただきホテルは港のすぐ近くでこれだったら明日大丈夫と思ったのでとりあえず港まで行ってどのくらいの距離なのか確かめたけれど荷物持ってあそこ歩くの嫌だなぁとちょっと思ってしまった私は歩くのが何しろ嫌い歩くと足が痛くなるのでだから明日タクシー頼もうかなぁどうしようかなぁと思っている次第さて鹿児島の何か資料館でもあるのかなぁと思ってフラフラ歩いていたらそしたら山方家と言うすごいデパートのアーケードに出たこれはなんか銀座三越と言うよりはそのアーケードの感じだと中野ブロードウェイとか武蔵小山商店街とかのそんな感じ思ってちょっと豪華にしたような雰囲気でなかなか良かったそれでフードコートみたいなのがあってそれがイトーヨーカドーみたいな名前の筆よかとと言うなんか3文字のひらがなの名前でそこに大きなスクリーンがあっててあの奄美大島の事とか後北沖沖縄本島の北側の説明西表とかそういう動画を流していてエコツーリズムみたいなそういう説明もしてた屋久島もあったなあゆ場所っていうのはすごくいいと思ったほんとに鹿児島沖縄と言うのは観光恵まれてるなぁと思うだから今回来たのはこれは正解そして靴下買おうと思ったら3足セットしかなくてもうしょうがない3足買った荷物が増えるのも困るんだけれども仕方ないそして山方家の地下でおいしそうなあの生デリカテッセンあのサラダ類を買ってもう死にそうに疲れてホテルに戻ってそれ食べてお風呂に入ってまったり中だった何かの食べ物屋とかに入りたくなくて食べ物屋に入るとどうせまたあの油とデンプンが多い私が開くたびに来るとつくづく思うけれどやっぱり家で自分で料理するのが一番健康を保てる自分だったらカリフラワー茹でて食べたりとかお味噌汁とか作れるのにやっぱり旅をしてると食事の事が1番ダメなんだと思うそして一時期39キロまで落とした体重がまた44キロになっていてあー今日もラムレーズンアイスクリーム食べてしまったなぁあそか昨日は昨日は緑茶アイスどっちどうしても度2度の時と言うのはアイスクリームをたくさん食べてしまうやー今回のホテルすごくいいわあの必要なものが全部揃ってるし部屋もそんな広すぎなくてまぁこのぐらいであの10 10分だってあの1日目の警告俺にはまいった部屋が広すぎてすすして寒くて大変だったけどやっぱりまぁ私はこれで充分だと思うただこれはあのあれば大黒は無いそうだとすると大黒があるホテルのチェーン店ていうのはやっぱりルートインとパパだけなのかなぁもうアパは嫌いだから止まらないとしてもこれからはルートインで探そうでも今日のホテル本当にこれはあと使いやすいものが全部あってよかった 


令和3年12月7日 火曜日 晴れ 

 

朝港に行って硫黄島に行こうとしたらなんとワクチンパスポートが内藤に乗れないと言われPC検査なんかそれを作ったほうが早いしなぁこれを一生新生の検査に用いてはいけないと言ってその半年半年に1週間後に殺されたいのいます。好きなものなので私はそのものよりも私が口も言わずにそれで今指宿に行くことにした。次の電車の駅を降りたい途端にに入っていたので試練特攻隊決めたんだったらそっか神様が私にそれを他の人の店になるために私はいいです私は指宿にいかせたのだと思うそして荷物を観光案内所に預けて直接ホテルに送ってもらうことにして私はバスで知覧特攻記念館に行ったもうそこに入る前からお話ししてしまったとこに行く方たちが最後の日々を過ごし、食べ物屋のお母さんのそのお店で絶対に私は普段食べないラーメンそのおいしさに感動して泣きながら食べたそして心改めてとこ記念館にもその建物に入る前から泣いてしまっていていろんな展示物を見たけれど悲しくて悲しくて人たちが幼い顔をして小さな恋のうたっこしているのでやるせない気持ちになった私は数ヶ月前に武蔵村山で少年飛行4-104を見たけれどそっかそこに少年飛行大道くん連続で飛行広がってそこで訓練した少年たちが試練の時、夜のところに送られたのかとその多分少年飛行士の学校の方が年齢で買ったのだと思う私はやっとこれで数ヶ月前に見たあの少年飛行次の日と言うのでこれがつながったんだと思ったら違うんですねこちらで有名な曲が違うじゃんそしていわさきホテルに泊まったこれはものすごく大きなリゾートホテルで多分昭和のプールの時にできたのだとこれほど大きなところ多分3日ほど服用子よりももしかしたら床面積が大きいかもしれない直晩御飯食べなかった44キロだったそして直生に入ってきたら43キロに硫黄島に行けなかった代わりに知らん会館にいかれる聞かれたからほんとによかったのだと思うそれにもし宮島に行っていたら船がいつ出るかはわからないような状態でもし船が出なかったら飛行機には乗れないわけだしだからこういうギリギリの日にちで旅をしてるときにはあたり確実なこと言ってないとまずいと思った。私もその、すぐに臨機応変に行動が取れるから1週間判断力があるからそればっかりで培ったものだから大丈夫そんなことで今日はほんとに胸がいっぱいになる1日だった

 

 


令和3年12月8日 水曜日 晴れ

 

 

ほんとにせめてホテルの名前だけでもどこかにメモしておけばよかっただからこういう時って携帯の電池がなくなったらもう何もできなくなってしまうからやっぱりちゃんとしたメモは手書きのものが必要だと思うそちらの方がよほど役に立つそれで3台持ってきているはずなのに焦って探しているから二台しかないピンクのほうは電話が伝わってつながっていないそして青は全く反応しないもう一つの白はどうしたかと思うとあそかスーツケースに入れっぱなしだったんだと思って諦めてしまうだけどホテルにチェックインしてよくよく見たら何の事は無いその白もちゃんと手提げ袋の中に入っていただから本当ならその白でチェックできたんだけれどまぁいいあのスタバでお昼を食べながら調べることもできたからそれで天文館っていうのはなんかちゃんとした建物とかが立っているんだと思ったらなんかあれなんなんだあのあの汚さは池袋とどこかあぁ高田馬場の飲み屋街みたいな感じだったそれで全然高尚な雰囲気のあれはなかったそして後で^_^そして後で早い晩御飯の後に道を歩いていた時に高校生だから男の子が教えてくれたこの川の道これは歴史ロードって言うんですよと教えてくれたそこを見たらあの悪口言うさつま揚げを読みを使っていたんだなぁと言うそれがあったのでこのことだったのかと思っただけどどうしてその薩摩暦の上専門の施設外資料館というのがそこに残さなかったのかなあと思うね私はあの高橋忠敬のこの伊能忠敬のその高橋先生の天文館の天文館の読んでいるからだから天文館と言うものに対して非常に興味があるまぁその棘が見つかったと言うだけでもよかった私通りの反対側を見たらライオンがあったけれどそれは単に近年ライオンズクラブが寄贈しただけだから別に歴史的なものではなかったそしてお部屋にあのこのホテルのセンチュリオンって言うお部屋やっぱりあのーいい感じだと思うちゃんとあの2人掛けのソファーこれ多分だけどあのアナンダソファベッドになるサイズなんだと思うけれどそれもちゃんとあるしたからおまわりにたくさんお店もあるし声はいいんじゃないかと思った私にとって1番大事なのはWi-Fiがきちんと機能するかと言うことなので昨日のいわさきホテルはどうしてもおかしい私はそこのホテルによって青いWi-Fiを壊されたんだと思う昨日全然動かなかったあのピンクのiPhoneは今日は問題なく使えているだからやっぱりあのホテル止まらなくなったらよかったのかなぁーとかって思うまぁでも昨日のあの状況だと仕方ないからまぁともかく青い電話は東京帰ったらどうにかしましょう明日は桜島に朝早く行ってぐるっと回ってそれでそれで日帰り温泉に入って戻ってきてホテルで荷物をとってから駅から空港行きのバスに乗ろうと計画している明日の予定はだから桜島の後はもう夕方は空港に行って寝るだけだから明日でいよいよこの鹿児島の旅も終わってしまう長いと思っていたけれど明日になると急激に速くなるんだと思う今日はまぁあのー昨日の夜と朝と夜2回にわたり直生生やったからぐったりとした日だったあまり歩きすぎなかったしそれに歩いてもばり直川のせいかなぁあんまり足が痛くならなかった普段だとこんな距離歩いたらもうあの関節が痛くて全然駄目だったと思うけれど今日はなんと視点やバスを使わないで駅からこのホテルまで歩いて帰ってきてしまった別に平気だったでやってお風呂に入ってそれでこれから休む間今日もあの自分の体調を整えると言う引いてあった良い意味で体が回復したようで朝11時に11時ギリギリまで寝てたんですものほんとにせめてホテルの名前だけでもどこかにメモしておけばよかっただからこういう時って携帯の電池がなくなったらもう何もできなくなってしまうからやっぱりちゃんとしたメモは手書きのものが必要だと思う


令和3年12月9日 木曜日 晴れ

 

朝起きて7時されて下の好きな酒朝ごはんをちょくちょく顔出して食べて夜笑ってしまったと言うお店に入った
それでバス乗り場に行ったけれど何か港行きの船が来ない
からだからそのまま神様が送ってくださったタクシーに乗ったしてフェリーの出発するん港にやってきた
そっか昔いちどこの船に乗ったんだなぁと言うことがわかった
でも多分その時は車で行ったんだと思う
載ってないんだあれこれといって何か繋がってるのかなよく覚えていない当時のことが好沈んだ鶏のことしか空いてなかったからだから昔見てもほとんど忘れてしまってところに再び行くっていうのはいいことなのかもしれない
私はいちど行ったところはもう二度と行かない次に行く所だけが大事だなんて言う考えを持っていってるとそうじゃないのかもしれない
だからといって同じところばっかり繰り返していく必要はないと思うけれど
子してやれ切符売場がないと思って広いターミナルを探したけれど作ってるところはなく、それで切符手元にないのにそのまま船に乗ったなんかこの船はついてから到着地で払うみたいそんなシステムがある
んだよでもねぇこれ安いからそれが可能なのだと思う
もし飛行機にお金払わないで乗ってしまって到着し、その空港で払うシステムだったらそしたらその金額持ってない人大変なことになると思う
経済難民の大量到来

新幹線然りだからやっぱりこういう到着してからのお前大大和見ての後の見た後のお支払いなんて言うのはのんびりしているんだと思う素晴らしい 

 


令和3年12月10日 金曜日 すごく晴れて、暑い お天気

 

朝6時に起きて、フロントへ行き、空港までホテルの車で送っていただく。やはり、空港ホテルはいい。鹿児島市内から来たら、相当時間がかかって、朝7時15分発なんていう便には乗れないと思う。

早い便で着くと、いろんなことができるからいい。ビッグカメラへ行って、故障した携帯電話の代わりの機種を買い、それを持って、紀伊國屋の隣のソフトバンクへ行き、順番を取っている間に、急いで曙橋の三輪治療院。そこで一番短いマッサージをしていただき、タクシーで急いで新宿通りのソフトバンクへ戻る。古い故障した携帯から新しい携帯になんとかデータを移していただき(多くは失われたと思うけれど、とりあえずKOKだけあればいい)、古い携帯を修理で預けた。

大久保の倉庫までタクシー。今日は結局、4回タクシーを使っているけれど、足が痛くて長い距離を歩けないのと、スーツケースがあるから仕方ない。

久しぶりにバイクに乗ったら、いい気分。桜島でレンタルバイクがあったら借りたのに、そういうものは見なかった。バイクはいい。自由だし、たくさん物が運べる。途中の中華屋でエビのかた焼きそばを食べた。

家の中はめちゃくちゃだったけれど、みんなに会えて嬉しい。

 


令和3年12月11日 土曜日 晴れ

 

ハイエナを連れて、東大和ののっち動物病院へ。以前、にゃんぐさんがお世話になったところ。いつものところは、来月1ヶ月お休みするとのこと。急ぐので、のっちに行った。

ハイエナの手術前検査は、1/8土曜で、 1/15が手術、入院して1/16に戻って来る。

手術の後のニットのワンピースは着ないとのこと。わあ、かわいそう。丸見え。これまで、うちの女の子たちは、レニちゃんでも、マルレーネちゃんでも、ワンピースを着ていた。他の猫が爪を立てるようなことがなければいい。

ブリュンヒルデちゃんとは、お世辞にも仲がいいとは言えない。

派手に破ってくれた和室の障子を貼った。無事なところが3枚くらいしか残っていなくて、後全部貼った。あとは、天窓(どうやってそんなところ破けるの!)や、西側の窓。1日にたくさんはやらないことにしたから、また後日。

部屋に暖房つけると、湯たんぽしなくても寝られるということがわかった。これまでは、暖房しなかったから、部屋が寒くて、湯たんぽをするしかなかった。そういえば、動物用の小さな電気カーペット、どこへ行ったのだろう。

明日、探そう。

何かどっと疲れが出て、午後寝てしまい、お買い物に行かなかったから、家に何も食べ物がない。お米と玉ねぎ以外。

 


令和3年12月12日 日曜日 晴れ

 

教会へ行って、12/26の聖誕劇は、演劇ではなくて、聖誕コスプレ写真会にした。

その方が、ゆっくり時間が取れるので、良いと思う。

いろいろな場面を撮ることができるし、それらの写真を繋げて、音楽をつければ、聖誕劇動画にもなる。

かえってよかったのだと思う。

さすが神様は、良いアイデアを気がつかせて下さる。

神様はいつも良い作品を作るご協力をして下さる。

やっと認証アプリが設定できてホッとした。一時はどうなることかと思って心配した。

でも、メインの携帯で、gmailのアプリがないと、ドキッとする。不思議なこともあるものだ。一つ気づいたのは、メッセンジャーという青いアプリのところに、いろんなものが届くということ。

それで、Yメールが空。まあ、いい。メッセンジャーがあるのだから。


令和3年12月13日 月曜日 晴れ

 

ゆっくり休んだ。

ベッドの中で『ダンテ』を読んだ。とてもためになるし、イタリアのいろんなことが出てきて面白いから、最後まで読んでしまいたい。旅に持っていったのに、つい携帯電話の情報を見てしまって読書が進まなかった。

郵便局から、いろいろ出した:千葉先生、吉備団子さん、硫黄島孔雀、弘前の塩美さん、小沢祐子さん。あともっと、出さないと。白丸湖やふうばとか。

久しぶりに鶏の胸肉料理を作った。小麦粉と料理用油を買いに行かないと。

ガーリック風味のオリーブ油がいい。えごま油は別になんてことなかった。地味というか。

冷蔵庫の中がいっぱい。もう当分、買い物は必要ない。


令和3年12月14日 火曜日 雨

 

今日から24日までお稽古がないのはとても嬉しい。

この雨の中、大久保まで往復できなかっただろう。家の中にいても、身体が冷えるので、3時頃お風呂に入った。

旅行中もそうだったけれど、戻ってきてから、血圧が高い。概ね200を超える時がしょっちゅう。

だから、今から10日間、静養していられるのは嬉しい。もっとも金曜日だけは、美容院へ行くから、出かけるのだけど。

ここ数日前から、血圧が高いから、のぼせた感じ。冷たい手で目を触ると気持ちがいい。

サラダを作った:

既製品のポテトサラダ、リンゴ、バナナ、鶏の胸肉南蛮漬け刻み、キュウリのお漬物、ゆで卵、スライス玉ねぎ。

パイナップルも入れようかと思ったけれど、7種類でもう十分だから、これまでにした。

美味しくなった理由は、なんと言っても、スライス玉ねぎだと思う。

聖誕劇の台本書かないと。

結局、9場面を撮影することになる。

 


令和3年12月15日 水曜日 晴れ 外0度 家の中10度

 

11時に上北台のデニーズにフィリピン牧師夫妻と打ち合わせ。

絵コンテ作り。できた。全部で9場面。

なんてことない。大丈夫。うまく行く。

世界一の物語だから、どんなふうにやっても、さあやるぞと思って取り組めば、必ず神様が守って下さる。

片栗粉を買って帰った。なんだ、前のが引き出しから出てきた。

少しづつ障子を貼っているから、あと2日で全部終わるはず。

私が一緒にいると、それほどひどく破かない。

きっと寂しくさせてしまったから、自暴自棄になったのだと思う。

私が悪かった。猫は悪くない。


令和3年12月16日 木曜日 晴れ

 

いつもの癖で朝の5時に起きてしまったけれど、今はゆっくり身体を治そうと思い、寝転んだまま読書を始めた。

そのせいかもしれないけれど、初めて、血圧が170以下になった。上:144、下:77。

まるで普通の人みたいなもの。

もしかして、休息が足りていなかったのかなとも思う。なにしろ、朝は、戦闘態勢で進軍するわけだから。

測る前に植物の世話をしたのもよかったのかもしれない。

あれかじり、これつまみだけで、午後4時を過ぎているのに、まだちゃんとした食事をしていない。それなのに、空腹感を感じない。何なのだろう。

障子貼りをしていたら、両面テープがなくなってしまった。東急ハンズへ行かないと。

あそこは11時開店だから、来週火曜日に、8時にお稽古終わり、maison kaiserで朝ごはん、三輪治療院、それからすぐに行くと恐らく早すぎるから、困ったなあ。

聖工房さんが、屋根瓦の調査にいらした。水回り業者の方と一緒に。

もっと片付けておけばよかった。でも、昨日も今日もできなかった。

せめて、流しと、玄関を少しやっただけでも、すごいこと。

食べ物を何も買いにいかなくても、食べないので、これまで買ったものだけで、どうにか済んでしまう。

明日は鶏の胸肉くらい買いに行きたい。蒸し鶏を作ったら美味しいだろう。


令和3年12月17日 金曜日 晴れ

 

その日の予定を今からちゃんと決めておこう。

メガネ屋さんが開くのが11時なのは困る。

朝7時半に家を出て、9時半に着いて、10時から三輪治療院。終わって原宿へ行くとギリギリかも。

やはり7時に出よう。

あ、自転車の充電!もっと早くにやっておけばよかった。さあ、どうする。

1時頃美容院終わってから、ソフトバンクに修理に出していた携帯電話を受け取り、三輪治療院へ。

以上は予定だけど、実際には違っていた。

せっかく神様が朝4時に起こしてくださったのに、読書をしたり、うとうとしたり二度寝をしてしまって、なんと次に起きたら7時過ぎていた。

慌ててご飯を食べて、すっぴんで出発した出たのはもう9時近く。

それでバイクを大久保車庫に置いて、急いで原宿まで自転車で行くしかできなかった本来だったらそこで済む美容院に行く前にマッサージにいかれたのによかっただ自転車の電池の充電やはり100%のフル充電で走るのは安心できる特に原宿まで行くわけだしそれで美容院は10分遅れて申し訳なかった若い男の子がヘッドマッサージをしたんだけれどなんだかもう弱くてへたくそでやっぱりやれば高橋さんがちゃんと力強くやるほうがいいと思ったともかく美容院が終わってその後ソフトバンクに行ってそれで前の携帯壊れた携帯を受け取ってお金がかからなかったそれで一応全部治ったみたいでもうしょうがないからこれはシムフリーの携帯としてラジオがわりにするかまたもし番号を増やすときにはそれを使えばいいわけだしそしてやはりiPhoneは何かあのーっち数戻ってきたらもう暗かったからそのまんまにそのまんまであったそしてもうすぐにお風呂に入ってそれで米1とは言えないけど0.5位の食事をして結局今日1日に1.5回分の食事をしたことになるそれは3回食事をするよりずっと健康だと思っないようにしても明日もそういう風にしようと思う朝いっぱい食べて昼食べないで夕方野菜とか果物だけで0.5それをしばらくやっていれば体重が増えないだろう千葉さんにお茶が届いたようでお電話がかかってきた1月にお目にかかっかかるのが楽しみ

 


令和3年9月18日 土曜日 晴れ

 

明日は教会だから、コロッケを買って、焼く。先週は、鹿児島帰って来た翌日だったから、そんなこと、すっかり忘れていた。

久しぶりに、鶏の胸肉も作った。鹿児島で買ったみかんポン酢を使えて嬉しい。

健康にいいから、お酢も買おう。

西太后は自分の美容と健康以外のことはどうでもよくて、その二つだけを特に重要視して、他のことを犠牲にしたそうだけれど、私もそうしよう。お稽古場をやっていた時は、いつもお稽古場のことを最重要視していたけれど、今はそんなこと関係ない。

組織と無関係に自分だけでやっていると、本当に楽ちんだ。

今まで、どれだけ不自由だったかと言ったら、いつもお荷物があって、自分が二の次だったから。

さあ、自由にやらせてもらおう。でも、常に、人のために何ができるかということを考えないと。

先日、千葉さんにお茶を送ったら、お電話がかかってきた。

亡くなったのは、お母さんではなくて、お姉さんとのこと。

お葬式にも参加できないそうだ。何がコロナだと思う。


 令和3年9月19日 日曜日 晴れ

 

ばっちりメイクしたはずだったのに、ゲランパウダーは忘れるわ、マニュキュアはしてないわ、十字架のペンダントのことなんか、まるで頭にないわで、ちょっと失格。
私はあまりにも長くスワロフスキーで買い物をしていないから、何か買ってしまおうかなと思わないではないけれど、でも、お金がもったいないからやめようという気持ちになる。

2月のペッタムの支払いがどうなるか分からないから、今は、無理な支払いをやめて、様子を見よう。

あまりに寒いので、教会のお昼ご飯の時間に戻って来て、首まで熱いお風呂に浸かって、また出かけて行った。

身体が冷えた状態で踊ったら、肉離れしてしまう。

李さんが青いスーツケース持って来て下さった。ものすごく疲れているようだった。

二重にお家賃を支払うようなことをせずに、大久保のお店に完全に引っ越して来てしまえばいいのに。

朝、家の中が6度だった。寒かった。今日から、寝るのを和室にしないで、全ての行動を台所で行うことにする。昨年も1ヶ月くらいはそうやって暮らしていた。

その方が熱効率がいいし、時間も節約できる。お陰で今は、室温が14度もあって、もったいないくらい。 


 令和3年9月20日 月曜日 晴れ

 

お庭のことやらないと。

霜でやられてしまっている。

ポトスだけは、どうにかギリギリで家の中に入れたけれど、一つはすでに、うーん、よくない状態。もう一つは、なんとか生きるだろう。あと少し早く家に入れておけばよかった。

2階は植物たちの避難所になっている。

日がよく当たるから、あの子達回復するはず。洋室は、お片付けをせずに1年くらい経ってしまった。

昨年は、数週間、そこで寝ていたこともあったけれど、やはり、階下で生活する方が楽。

だって、夜中におトイレに行くために階段を上り降りするのは面倒。

白バリをキャンセルして、似たようなのを、近所で買ってきた。
デスクのすぐ横に鏡を移したから、しょっちゅうチェックできて便利。 


 令和3年9月21日 火曜日 晴れ

 

昨年の今頃は、小笠原にいたなんて。

「あめのひ食堂」さん、お懐かしい。

228,167マイルも貯まっていた。以前なら、それを使ってさっさとヨーロッパなりどこかへ行っていたけれど、ワクチンパスを持っていない私は、見事にどこへも行かれない人になってしまった。

デルタ航空に聞いたら、国内旅行もスカイマークを通じて使えるとのこと。

そのうち佐渡島へでも行こう。

3月までは予定が決まっているから、まあ、5月の連休の後とか6月とか。

昨日から台所へ引っ越したから、本当に暖かく過ごせる。

洋服を取りに行く時だけ、意を決して寒い和室に入る。

化粧品類も大方、台所に持って来たから完璧。

やろうとしていることがどんどん遅くなってしまう。

もっと急がないと。サンバを鎌倉に送らないといけないから。

それから小笠原に鹿児島のお土産。


 令和3年9月22日 水曜日 晴れ

 

昨日、バイクがエンストして苦労したから、今日は大丈夫かと頑張って、できない。

ああ。

と思ったら、鍵をちゃんと回していなかった。

信じられない。

普通にかかった。

ああ、よかった、神様、ありがとうございます。

それで、なるべく長い距離を走りたかったから、幸右衛門のお茶屋さんに買いに行った。

素敵なものがたくさんあって、きびだんごさんのお母様の御霊前にもそれをお送りさせていただいた。

サンタの可愛いものもたくさんあった。

あのお店は、内容と様式の両方がピカピカに磨かれているからすごい。

行ってよかった。

食事、1.5食しか食べなかったけれど、それで十分。

お昼間は、太陽が素晴らしくて、暖房なしで過ごせる。

東南の角だから、最高。狭いのも理想的。

私はこの広さがあれば、もう十分。

小笠原へも送った。教会、ユース、板長、アキビーチカヤック。


 令和3年9月23日 木曜日 晴れ

 

4時ちょうどに目が覚めて、神様、ありがとうございます。

毎日同じ時間にちゃんと起こして下さる。

あと数日で、それが必要なスケジュールになるから、休みの日でもこうして私に必要な起床訓練をさせて下さって、とてもありがたい。

お風呂に入って1日を始めたと言いたいけれど、2度寝してしまい、8時に慌てて飛び起きて、ゴミ出しした。そうか、ゴミは、二度寝する前にしておけばいいのか。まあ、たまにはそれをするけれど、なかなか外へ行かれない。

そうだ、幸右衛門にもう一度行ってこよう。

それを喜ぶ方が、たくさんいらっしゃるだろうから。


 令和3年9月24日 金曜日 晴れ

 


 令和3年9月25日 土曜日 晴れ

 


 令和3年9月26日 日曜日 

 

ついにこの日になって、なんとか無事、聖誕劇写真撮影大会を終えることができた。

あの聖家族と出会わなかったら、できなかったと思う。

やはり、撮影はビジュアルがほとんど全て。

それ以外のことは、自ずとついてくる。

でもビジュアルがダメだったら、もうやらない方がいいくらい。

ともかくビジュアル重視、これが私が60年間この業界に関わってきた実感。

アダムさんはナチュラルタレントを持っている。聖家夫婦然り。

フィリピン牧師夫妻、いよんちゃんの貢献に感謝。

ダンスおじさんは、絵の才能はある。ただし、このようなチームワークに必要なのは、人間力。

泉先生が聖誕劇を中止になさったことで、逆説的だけれど、設立した聖誕劇コスプレ写真撮影プロジェクト。

芝居上演としてやらずに、撮影でないと、成功しませんよと神様からのメッセージをいただいたと解釈している。

聖家族が教会を出る2時までになんとか終えた。

お疲れ様でした。神様、ありがとうございました。

育ちの悪い人を注意したり、直そうとしたりせずに、身を引いて、自分に相応しい人とだけお付き合いをすればいいのだ。

 


 令和3年12月27日 月曜日 寒い

 

朝7時に出て、9時よりかなり早く着いてしまったけれど、いつものお部屋の隣のバレエスタジオでのお稽古開始。

本当に大人しくて、声も出せない女の子で、今後はどうなるのだろうと思ってしまう。

もっと大人しい子も相手にしたから、まあ、どうにかなるだろう。

帰りに三輪治療院と、落合のホンダドリームに寄って、エンジンオイル交換をしていただいた。

自動的にオイル交換時期が表示されるシステムはすごい。


 令和3年12月28日 火曜日 ものすごく寒い

 

 そらちゃんが、ちゃんとお返事できる子になっていた。しかも英語で数えられていた。

びっくり。

お稽古の後、三輪治療院、坂本屋、眼鏡屋で修理を受け取り、大久保通りの鶏肉屋へ行って鳥の焼いたのを買ったのだけど、昔の方が美味しかった。滴り落ちるような感じで。それなのに、人が変わったのか、焼いてから時間が経ったのか、なんかパサパサ感がした。やはり、鳥は1羽丸ごと買わないとわからないのかも。

戻ったら、なんと雨戸が閉まったままで、猫達、かわいそうに、暗いところにいたのだろう。

お風呂に入って、食べて、すぐに寝てしまった。夕方6時くらいだったのか。

猫が勝手に炊飯器のコンセントを抜いてしまうから、これからは、別のところにコンセントを刺さないと、冷たいご飯を食べる羽目になる。


令和3年12月29日 水曜日 ものすごく寒い

 

まだ暗い2時に起きて、お風呂に入って、食べて、1日をスタートさせた。

私にはそのようなライフスタイルの方が合っているのかも。

若い頃、散々、太陽が沈んでからのスケジュールをたくさんしたけれど、それは、自然の身体の摂理には間違っていたのだと思う。

これからはもう、あまり劇場にも足を運べないと思うけれど、それも仕方ない。

だから2月に那覇でマチネもマチネ、12時半開始のものを見るのだけれど。

午後3時のマチネを見ても、戻る時は、暗い中を運転して帰るなんて、笑ってしまう。そういうものも見られない。

 

令和3年12月30日 火曜日 ものすごく寒い