懐かしい四ツ谷のスタジオ


舞踊家人生の中で、自分のスタジオを持てた時期が2回あった。

どこでどうお稽古をして来たのか、思い出す限り、書いておこう。

最初は、川崎市宿河原のマンションの集会室で、週に1回だけ。全てはそこから始まった。

そこで半年か1年くらいはやっただろうか。

三浦大紀さんに出会ったのが1番の思い出。

その後、大学院に通うために初台にマンションを買ってもらい、そこで踊ったら、管理組合から、うるさいと言われ、警察まで来たのにはまいった。

近所の幡ヶ谷の大衆演劇の女座長、原宿の劇団、三軒茶屋の劇団、果ては渋谷区の公共施設、遠く離れた等々力の世田谷青年の家、主婦の友社の主婦の友会館(これは結構長くて、2、3年くらいやったのではないだろうか)などということもあって、一体どうやって、振付なんかやっていたのか。

この時期にかけがえのない、素敵な出会いがあった。座間逵さん、小沢祐子さん。

見かねた母が、渋谷区教育委員会を辞めて、新宿三丁目のゴールドビルの三階にスタジオをオープンした。

それがあったから、素晴らしい出会いがたくさんありあり、『ルイジ・オン・ステージ』などという途方も無いことができたのだろう。

それからは、新宿二丁目おかま街の真ん中に自分のスタジオを開いたけれど、これが最初の自分のスタジオ。

ただし、床がコンクリートでいきなりリノリウムを貼っただけだから、踊らない方がいいくらいのスタジオだったけれど、その時代に、『フランシスダンスコンサート』をやったわけだから、そこはかけがえのない創造の場所だった。

その後、思うところあって、スタジオを閉じて、一時の気の迷いから、ニューヨークへ行ったが、思い直して戻って来て、気がついてみたら、職安通りの歯医者さんの3部屋くり抜き100平米のマンションを買っていた。

バブルの時だし、父の亘さんが生きていたから、できたこと。

なにぶんマンションの7階だから、騒音問題で、訴えられて、被告席に座ることに。

ところが、法曹界の女王と呼ばれる日本で初めての女性弁護士の手腕で、反対に相手を地代不払い訴訟を起こし、見事にその後一生続く権利収入を勝ち取ることに。

人生何が幸いするか、わからない。もし、騒音問題で訴えられていなかったら、弁護士が権利書を見ることもなく、私が数名いる共同地主の一人になっていたなどということは、知る由もない。

さて、その後、しばらく新宿御苑のマンションの11階のワンルームや、その隣の賃貸マンションの7階で踊っていたのだけれど、騒音問題でまたまた被告席に座る羽目に。私の真下の階の部屋には、居住者が入居しても、階上がうるさいから、すぐに退出してしまうとのこと。造りが安普請なのを棚に上げて、なんで私のせいにするとは。

そこは、目の前が新宿御苑で、新宿御苑がまるで自分の庭のように感じられる場所だった。

近所の日本舞踊の先生のお稽古場を借りてやっていた。その時代に、毎日来るコース制という制度を作り、毎日踊ると人が育つから、結果的にあちこち海外で踊るようにもなった。マスコミの仕事もどんどん来た。著作も数冊出した。ジャズダンス研究の第一歩であった『ジャズダンスブック』を出せたことの意義は大きかった。そういう時代だった。

お稽古場があるのに、夜中に自分の7階の部屋で踊ったりしたものだから、家主には

「あなたが嫌いですから、出て行って下さい。ともかく音がうるさいし」なんて言われてしまって。

「そんなこと言われたって、私はこの建物から見える目の前に広がる新宿御苑の景色が大好きだから、一生ここに住んでいたいです」

「お金の問題じゃありません、何しろあなたが嫌いなのです」と言われて、結局、2年分くらいの家賃をいただいて、市谷台町へお引越し。

市谷台町には、65平米のマンションを3つ借りていたから、そのうちの一つを思い切って、スタジオにした。

パーテイションが一切ない空間で、まあ、ダンススタジオには多少狭いかもしれなくても、真下が駐車場で、踊っても誰の迷惑にもならないというのが、最高だった。

外国人ダンサーや出演者をブッキングすることを中心に、業界の仕事を多くこなした。

3.11と共に、日本がから外タレダンサーたちが一斉に消えて、報道番組ばかりになり、バラエティ番組が姿を消したことで、オフィスマリカは、サンバの羽根衣装レンタル事務所に方向転換した。正解だった。

四ツ谷に自分のダンススタジオを持つなんて、考えたこともなかった。

新宿二丁目の時以来、自分のものを持つことはもうないと思っていたから、自分としては意外だった。

1番辛い時に、1番いいことが起きていた。

神様のお陰で、6年間一国一城の主人で入られたことを感謝したい。

四ツ谷のスタジオと自宅を整理して、市ヶ谷に来た時、これからは庭いじりと執筆をしながら、世界を旅しようと思った。

別室の麻雀部屋は、バリ島の絵でも飾る絵画部屋にしようかと思った。

ところが、そうか、ここに鏡を貼って踊ればいいということに気がついた。

そんなわけで、今では、自宅で踊っている。自分が一階の住民だから、階下の人から文句が来ることもなく、重宝している。

天井が低いことや、面積に目をつぶれば、バーを置いて、自分のお稽古や個人レッスン、振り写しや本番の合わせなんかは、ここで十分にできる。

ここに来るまでには、ここに書かなかった、数々の涙が出そうなエピソードもあるけれど、それは、そのうち、本に書こう。

『稽古場放浪記』みたいな感じかな。(平成30年4月30日)


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